第1話 イチゴのかき氷

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第1話 イチゴのかき氷

 文緒には二歳下の弟がいた。文緒が五つか六つのときだから、弟は三つか四つだろう。  当時、まだ生まれたばかりの妹もいた。  母はそうとう育児に疲れていたと思う。妹はとにかく疳の虫の強い子で、昼と言わず夜と言わず泣いていたし、弟はついこの前まで自分が末っ子で甘やかされていたのに、来たばかりの妹に母をとられて、すねたりグズったり暴れまわったり、なんとかして自分に関心を向けようとしていた。  夏の暑い時期だったので、母は家でかき氷を作った。冷蔵庫でできた氷を容器に入れて、まわして削る家庭用のかき氷製造器があった。 「早く、早く。お母さん。かき氷、食べたいよ」 「ぼくがさき。ぼくがさきだよ」  文緒と弟もひさしぶりに母の手作りのオヤツが楽しみでしかたなかった。  だが、ガラスの器に氷を削り入れ、きれいな三角の山を作ったあとで、母はかき氷用のシロップが切れていることに気づいた。母や父が食べるときの大人用のレモン味はあったが、イチゴ味がなくなっていた。  かき氷のシロップはじっさいのところ、イチゴもメロンもレモンも同じ味らしい。ただ、フレーバーによって異なる味のように脳を錯覚させているだけだ。  ただ、そういう知識を得たのは成人してからだ。子どものころの文緒や弟が知っているわけもない。 「レモンでいいでしょ? はい。かき氷」  母は氷とレモンシロップをドンと弟の前に置いた。  弟は黄色い液の容器を見て、とたんに駄々をこねた。 「ヤダ。ヤダ。イチゴがいい。イチゴじゃないとヤダよぉー!」  ギャンギャン泣きわめく弟。  それにつられて、奥の部屋で妹も泣きだす。  母は明日には買ってくるからとか、また作ってあげると言って弟をなだめようとしたが、ちっとも聞かない。 「やだ。やだ。やだ。絶対、イチゴ! イチゴじゃないとヤダー!」  床をころげまわるほどのありさまだ。  妹は火がついたように泣く。  弟はイチゴ、イチゴとわめく。  その瞬間だ。  母の顔から表情が消えた。  氷を細かくくだいていたアイスピックを手にとると、無言のまま弟のこめかみへ、右から左へとつきとおした。  母がアイスピックをぬくと、穴からタラリと赤い汁がこぼれた。  母は削った氷の器を持ちあげ、山の上でその汁を受けた。氷の三角の上が赤く染まる。 「ほら、イチゴよ。これでいいでしょ。さっさと食べなさい」  *  この思い出を語ると、父も母も親戚の人たちも、みんな笑いだす。  文緒には弟なんていなかったんだと言う。  たしかに、子どものころの一時期にいたはずの弟は、それ以降いない。妹は昨年、結婚して家を出ていったが、もちろん、文緒と妹のあいだにもう一人、兄がいたんだなんて知りもしない。  あれは夢だったのか。  幼い文緒の記憶が間違っていたのか。  あるいは、母が……?
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