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……数か月前に、行きずりの男とセックスした。
別にどこが好みというわけでもない。ただ単に、互いの性欲を発散したい気持ちが合わさっただけだった。もう相手の顔も覚えていない。
そして数日前、自分が妊娠していることが発覚した。
私は避妊しなかった軽率さを心から後悔した。なぜなら、赤子が心底嫌いだからだ。
赤子のことを「赤ちゃん」と呼ぶだけでも嫌悪感で溢れかえり、自分からそう言った話はしないようにしている。
それほど嫌いなのだ。だから人生のどん底だと思った。
三十代になり早数年。職場のいじめに耐えきれずこの間辞職して。大切にしていた友人たちはそれぞれ家庭を持って遠い所に移り住んでしまった。
両親はまだ健在しているが、私に子どもを授かることを心待ちにしており(もちろん伴侶がいて、が前提だ)、たまに帰省すれば必ずそういった話になったり見合い相手を勧めてくる。もう、そういった話はまっぴらごめんだ。
こういった理由が重なり、やけになって前の職場から遠いこのボロアパートに移り住んできた。アルバイトで働いて貯金でもして、おそらく一人で過ごすであろう老後のための資金を作ろうと考えていたのだ。
……でもそんな生活も、もう限界かもしれない。
隣人の部屋からこの頃赤子の泣き声が酷く聞こえるのだ。
しかもボロアパートであるから防音性はゼロ。丸聞こえだ。
私は人間性というのか、道徳が一切ないのでこう思う。
『死ねばいいのに』
*
日に日に、聞こえる赤子の声が増えていく。
私の精神は昼夜を問わずどんどんすり潰され、精神安定剤の数も増えていった。医者に妊娠のことは言ってないし、きっと自分の中に居座るこの子には悪影響なのだろうなと思った。
でも私はそれで構わない。最低な人間なのだ、私は。
私は赤子の声に意識を集中させるのは止めようと、すがる思いでテレビをつけた。ちょうどテレビは夜のニュース番組を映している。
「なんだ、ニュースか……」
仕事をやめてから、時間の感覚がなくなってきていた。何かドラマでもやっていたらよかったものを。
しかし次の瞬間私の憂鬱は興味によって晴れた。
ニュースのカメラは見慣れた交差点に立つレポーターを映した。これは……私が住んでいるこの町だ。しかも、おそらくこのアパートからも見える範囲。
テロップには誘拐事件と書かれている。私は少しテレビの音量を上げた。
『このようにここ数日に渡って次々と赤ちゃんが誘拐されています。こちらのお宅では……』
そうしてカメラは悲しみに暮れて涙を流す母親の姿を映した。自分より幾分若い母親だ。私はテレビの音量を下げる。
何がそこまで悲しいのだろうか。私にはまったくわからない。
「それはいいとして……」
私は未だに響いている複数の赤子の声が聞こえる方を見つめた。
ここ数日に渡って起きている赤子の誘拐事件。
そしてここ数日、日に日に増えていく赤子の泣き声。
もしかしたらこの一連の誘拐事件の犯人は隣人ではないのだろうか。
考える間もなく私の中で複数の点が線でつながっていく。
通報するにしても、もう少し証拠が必要だ。まだ、『点』が足りない。
でもきっとこの点がさらに線でつながっていけばその先に、私の安寧の生活が待っているはずだ。
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