1946年 ミュンヘン

9/11
前へ
/347ページ
次へ
「確かにそれはそうなんだけど」  サラの言うことは正論だ。  血統か、信仰か。「ユダヤ人問題の最終的解決(die Endlösung der Judenfrage)」を標榜し、その徹底排除を目指したナチ党にとってすら、「ユダヤ人とは何か、誰か」をはっきりと定義づけることは困難で、判断はときどきに揺らいだ。  ニコ曰く、レオとニコの両親は毎週教会に通うクリスチャンだった。その証拠としてレオの性器にはユダヤ教徒の男児には必ず施されているはずの割礼の痕跡がない。ニコのものは見たことがないが、兄弟なのだからおそらく同じだろう。  一家はユダヤ教やユダヤ人コミュニティとは距離を置く典型的な「世俗化したユダヤ系ドイツ人」だったが、レオとニコの父方の祖父母は数十年前にポーランドからやってきた移民一世、敬虔なユダヤ教徒であり、つまりナチ政権後期においては孫であるレオとニコまでもユダヤ人として扱われた。そのため収容所に送られ今ここにいるわけだが、戦争以前の記憶自体を失っているレオはもちろん宗教的な基盤を共有しないニコも、ユダヤ人コミュニティへの帰属意識は極めて薄い。 「サラの言いたいことはわかるけど、たとえ可能だとしても、ニコはパレスチナに行くって選択肢は持っていないと思う。あいつは同胞と絡むのをあまり好まないし」 「まったく。ニコが、ニコは、って情けないわね。あんた、年の割に子どもっぽいって言われるでしょう。兄さんのくせに、自分の意思ってものはないの?」  彼女の言いたいことはわかる。戦争終結からは一年あまりが経過しているとはいえ、社会も人も回復からはほど遠い。なのに好き好んでせっかく繋がった支援の手を離そうというのは、どう考えたって無謀だ。レオにもニコの真意は理解できない。 「俺は……」  一応、病院に残りたいとは言った。ただ、それは外の世界に出て自分がニコの足手まといになることを不安視したからで、本当にレオが望んでいることは──ただひとつだけ。 「俺は、ニコの行きたいところならどこでも」  ニコといられるのならば、どこだって。そのくらい今のレオの世界にはニコだけだ。唯一の血縁、大切な弟以外の何もかもは希薄で現実味を持たない。だがサラにはレオの言葉に潜む深い気持ちまでは伝わらない。彼女にはきっと、何もかも弟任せの頼りない兄だと思われて終わりだ。  レオの態度に失望したかのようにサラはひときわ大きなため息を吐いた、その次の瞬間部屋の重い空気をかき消すように、ドアが開いた。そこには小柄な若い男が立っていた。
/347ページ

最初のコメントを投稿しよう!

454人が本棚に入れています
本棚に追加