1946年 ミュンヘン

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「ニコ!」  跳ねるように、サラが立ち上がる。 「サラ、来てたんだ」 「当たり前じゃない。車だけよこすとでも思った?」  サラはニコを抱擁し、頰を合わせて挨拶のキスをする。女性にしては背の高いサラと、男性にしてはやや小柄なニコ。こうしてみるとほとんど背丈に変わりがない。さっきまで文句ばかり言っていたのに満面の笑顔を浮かべているのは、彼女が決して本気でニコに腹を立てていたわけではないことを証明している。  ニコが手にしているのは古ぼけた小さなトランク一つだけ。彼の荷物もレオに負けず劣らず少ないようだ。  ニコがここにいる。本当に自分を迎えに来てくれた。それだけでレオの心はじんわりと温かくなる。深いブラウンの髪に、厚い睫毛の下で、はにかむように伏せられがちなヘーゼルの瞳。栄養状態が十分でないこともあってか、ややかさついて見える白い肌。唯一自分に残された身内。唯一自分に残された過去との繋がり。今のレオにとってニコは世界そのものだった。  レオが意識を取り戻したその日から、ニコは頻繁な見舞いを欠かさなかった。同じ収容所で解放されたニコは最初の頃は同じ病院の別の病棟に入院していて、そこからレオのもとへ通ってきていた。やがて先に退院してからは外部から面会にやってくるようになった。無口なニコは多くを話さないし、記憶のない自分は口にすべき話題を持っていない。しかし、ただ黙って座っているだけでも彼の姿を見ていると深く満たされるようで、レオはそれが家族の愛情だと思った。  見舞いから帰るときニコは必ず次の面会予定を告げた。一度だって約束が破られたことはないのに、いつだってレオは不安になった。姿が見えない間ずっとニコを待ち続け、ときにまさか二度と現れないのではないかと不安になり、予定通りにやって来れば安堵した。親鳥を待つ雛のようにニコを待つ、それがレオにとってすべてだった。  渋りながらも退院に同意したのは、ただニコを待ち続ける日々にうんざりしていたというのも理由の一つだ。ここを出ればずっとニコと一緒にいることができる。
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