1946年 ミュンヘン

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1946年 ミュンヘン

 殺風景な建物を出て道なりに歩き、たばこ屋の角を折れる。しばらく歩けば大きな公園に突き当たり、池に集うさまざまな姿かたちの水鳥や、芝生と木々の間をせわしなく駆け回るリスの姿を眺めながらそこをぐるりと一周するのがレオの日課だった。  連合軍の空爆でミュンヘンの約三分の一が焼け野原になり今も復興なかばだと聞いているが、郊外のこの辺りは被害を免れ、慎ましい街並みは一片の暗さもないのどかさを漂わせている。  毎朝の散歩をはじめて半年ほどが経つ。  木々の葉が色づきはじめた頃に「シャツ一枚じゃ寒いだろう」と弟のニコが病室に上着を持ってきた。古ぼけてはいるが質の良いウールの外套は、戦争と病気で痩せた体には胴がぶかぶかに余っているもののレオの背丈にぴったりで、物資不足のご時世にどこからこんな物を手に入れたのかをいぶかしくも思った。しかし疑問を直接ニコにぶつけるにはなんとなく気がとがめ、結局レオは黙ってそれを受け取った。そういえば、昨年の冬はまだ外に出られるような状態ではなかったから厚手の上着など必要なかったのだ。  色鮮やかだった木々は葉を落としてすっかり寂しい姿になり、早くも訪れようとしている冬の冷たさは、顔や手といった皮膚の露出した部分を柔らかく刺す。この景色も今日で見納めだ。  最初は杖をついて、息を切らしては休み休み歩いていた。今では多少ぎこちないながらも二本の足で、息を乱すことなく歩ききることができる。散歩コースを一周するのにかかる時間もずいぶんと短くなった。  左脚ひざ下の骨が無残に砕けていて神経にも損傷があるから、どれだけ機能が元に戻るかわからない——そう言われたのをまるで昨日のことのように思い出す。今の自分が医者の予想をはるかに超えて回復していることは確かだが、これ以上良くなるのかどうかはわからない。頭と脚のひどい怪我だけでなく結核まで患っていて、いっときは肺を片方失うことも覚悟したものの、結局レオの胸にメスが入ることはなかった。  脚に多少の不自由が残る程度であれば、まだましな方なのかもしれない。かろうじてではあるけれど五体満足な体。たった一人ではあるけれど血の繋がった弟。先の戦争で何もかもを失った人も多くいることを思えば、これでもきっと恵まれている。
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