1950年 ミュンヘン

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「ニコ、もういい。作り話はよせ」 「嘘じゃない! 兄さんの友人と偶然ベルリンで会って聞いたんだ。僕だって最初は信じられなかったからイレーネにも直接会いに行った。嘘だと思うなら君の父さんにも聞いてみてよ」  ニコはあまりに必死で、その勢いにユリウスは気圧(けお)される。  イレーネ。レオの美しいドイツ人のガールフレンド。まさか彼女がレオをゲシュタポに売ったというのか。レオが連れ去られ、死んだのは自分の言葉が原因ではなかったというのか。信じたい気持ちと信じられない気持ちの間でユリウスは唖然としてただ黙り込んだ。その目を正面から見つめニコは、今度は少し落ち着いた口調で言った。 「それだけじゃない。僕を、僕たち家族をハンブルクから逃がす車の手配をしてくれたのが誰だか知ってる? 君の父さんだ。君の父さんは兄さんを通報したりなんかしていない。むしろ僕たち一家を救おうとしてくれた」 「そんなの嘘だ……」 「嘘じゃないって言ってるだろ。全部間違いなんだ。君が長い間ずっと罪悪感に苦しんでいたことも、僕が君を家族の仇として憎んだことも」  ユリウスはおずおずと顔を上げニコの目を見た。まなざしは嘘をついているとは思えないくらい真剣で、あたたかい。だが、しばらく見つめ合った後でニコの表情は少しだけ曇った。 「ハンスに聞いてはじめて知ったよ。君が僕を迎えに来るという約束を守るために親衛隊に入隊してあんな場所まで来てくれたってこと。それに、自分の身を危険にさらしてまでずっと僕を助けてくれた。……なのに僕は君にひどいことばかり」  ニコの言葉が本当なのであればユリウスは救われる。だが、それと引き換えにニコは自分自身が誤解のままにユリウスを憎んだことを悔やみ、責めることになる——そのことに気づくと、ユリウスはやはりやりきれない気持ちになった。 「ニコ、それは違う。おまえが自分を責めるのは間違ってる。俺があのときレオを憎んでいっそいなくなればいいと思ったのは本当のことだ。俺はおまえが言うような良い人間じゃないし、ばかで、浅はかで、間違い続けた結果おまえを巻き込んで、犯罪者にしてしまった……」  ユリウスがニコを見れば自分の罪や後悔と向かい合わざるをえないのと同様に、ニコもユリウスと向かい合うと自分自身を責めずにはいられない。それを知ってしまえば、やはり自分とニコはもう関わるべきではないのだという思いが強くなる。
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