1946年 ミュンヘン

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「よお」  呼びかけてくる声に顔を上げると、ベンチに座る初老の男がレオに向かって手を振っていた。  連日散歩をしているうちに顔見知りになった彼の名はクラウスという。彼は凍える真冬以外は毎日、公園入り口にあるキオスクで新聞を買ってベンチでくまなく目を通すことを習慣にしている。  薄くなった頭髪をきれいに撫でつけ、いつだって整った清潔な服装。柔和な顔立ちのクラウスだが、額や眉間には苦悩を思わせる深い皺がいくつも刻まれており、どこかちぐはぐな印象を与える。 「おはようございます」  レオが挨拶を返すと、クラウスは手に持った新聞紙を広げ掲げて見せた。 「おい、こいつを見たか?」  普段より少し高い、興奮したような声色だ。  それは一見して奇妙な紙面だった。文字は少なく、ほぼ正方形に近い写真ばかりが何枚も並んでいる。写真にはそれぞれ異なる男が写っているが、共通しているのはどれも目を閉じて横たわっていることだ。  見出しにさっと目を滑らせ、レオはそれが何かを知った。  第二次世界大戦中に行われたナチスドイツの戦争犯罪を裁くために一年ほど前にはじまったニュルンベルク国際軍事裁判の判決が出たのは、約半月前のことだ。  アーリア人種による単一民族支配の巨大帝国を夢見て多くの国を侵略し、ユダヤ人をはじめとする彼らのいうところの劣等民族を虐殺し、廃墟と死体の山を築いたとして責任を問われている国家指導者たち。主要戦犯として起訴された二十二名の中には逃亡により欠席裁判とされた者や自死した者もいたため、死刑判決が出された十四名のうち実際に絞首刑に処されたのは十二名だった。かろうじて死刑を免れた面々も、これからおのおの刑務所へ移送されていくのだという。  まるで眠っているかのように、どこか無垢な表情にすら見えるあれは元ポーランド総督のハンス・フランク、処刑時にアクシデントでもあったのか、顔面をひどく損傷しているのは元内務大臣のヴィルヘルム・フリック——ほんの一年半前まで権力の中枢にいた面々が今ではこうして、どこか見世物じみたやり方で糾弾され、罰される。  戦勝国や侵略された国々、迫害された人々の怒りは凄まじい。それどころか、少し前まで第三帝国に熱狂していたドイツ市民すら、ヒトラー率いるナチ政権は実のところは不当なる政権簒奪者(さんだつしゃ)で、国民を騙して戦争犯罪に加担させたのだと今では怒りに燃えているのだ。
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