1946年 ミュンヘン

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 病院に戻ったレオは出発に備えてベッドを整え、畳んだ衣類や雑貨をトランクに収めた。  実のところ荷造りというほどの荷物もない。戦後に米軍に救助されて最初の病院に運び込まれたときは文字どおり体ひとつだったし、療養のためここに転院してからも、いくらか身の回りの物が増えた程度だ。まあいい、旅をするには身軽な方が楽だろう。  医者や看護人へも退院の挨拶を済ませ手持ち無沙汰になった昼前に、ちょうどいいタイミングでサラが顔を出した。  サラは、アメリカ合衆国を拠点とする救援組織であるアメリカ・ユダヤ人合同配給委員会(American Jewish Joint Distribution Committee)——通称「ジョイント」のスタッフで、先の大戦で傷ついたり居場所をなくしたりしたヨーロッパユダヤ人を支援するためドイツへ派遣されてきた。現在はバイエルン州内の難民収容所や病院を忙しく回り、同胞の状況や要望を聞き取りながら支援のコーディネートを行なっている。ここ一年ほどは月に一、二度のペースでレオの元も訪れており、弟のニコとも親しく会話を交わす間柄になっていた。  彼女自身も生まれ育ちはベルリンだが、大学教授だった父親はナチ党が政権を取ってしばらくしてドイツの将来へ見切りをつけ、一家は合衆国へ亡命した。  当時はユダヤコミュニティでもナチ党の掲げる過激な民族政策について「こんな馬鹿らしいことが続くはずがない」と悠長に構えているのが多数派で、サラ自身、言葉も風習も違う大陸へ向かう判断をした父親を一度は恨んだという。だが、ナチを支持する学生たちが大学に乗り込み、非ドイツ人や危険思想の持ち主とされた人物の著作を持ち出して燃やすのを目の当たりにした父親のショックは大きく、断固として亡命の意思を曲げなかった。  サラの父親が大学の図書館から運び出された本が燃やされる様を呆然と眺めるすぐそばで、政府の宣伝相ゲッベルスは学生たちを褒め称える演説を行っていた。  ——本を焼く者は、やがて人を焼く。  百年近くも前にそんな文句を書いた詩人もまた、ドイツで生まれたユダヤ人だった。結果的にサラの父親の判断は正しかったのだ。
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