極星の導き

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八月。爽やかな快晴。夢心地に浮かぶバニラ味の雲。轟音を靡かせおおぞらを気持ちよく羽ばたく飛行機。その純白の翼が真夜中の一番星のようにきらりと煌めく。そして、彼を飛行機雲がせいいっぱい追い続ける。四方の隅まで藍色にそまったキャンバスに白い絵の具が引かれていくようだ。燦々とした太陽の日差しが眩しい。その光が残像してオーブのような発光体が瞼の裏に存続する。目の前に広がる稲畑の黄金がゆらゆらと陽炎のように揺らいだ。ラムネ瓶の色をした丸型の透き通った風鈴。ちりんとおだやかな風に吹かれて音を立てる。それに呼応するかのように遠方からミンミンゼミの声がふつふつと沸騰するように沸いてきた。 ばあちゃんの家は長野県にあるずいぶんと田舎の方にあった。苔がガードレールに生えていて道路はもう粉々に砕け散っている。そんな車道を潜り抜け、凸凹道を走った後についにそこにたどり着く。それくらい街から離れていて辺境にあった。だけどそこの自然は類い稀な美しさをその身に宿していた。瞬間、意識のスポットライトがそこだけに当たり、ひゅっと息を飲み込んで瞳がとろんと蕩けたあとにその美しさに辟易するほどの自然が此処には広がっている。鮮やかな緑が生い茂る山々に、どどうと地面に向かって迫る自然の荒々しさが感じられる滝。大きな木に張り付いたその黒い装甲を光らせるカブトムシにせっせと動き回るアリたち。生命の息吹が肌に感じられた。そんな場所がぼくは大好きだった。 大学生の夏休み、ぼくが暇を持て余していたころ。突然、自宅の電話が鳴り響き受話器を取ったら「話したい事があるから」としゃがれ声が聞こえた。ぼくは「どうしたの?」って聞くと「会って話す。とにかく早くこいよ」と言われた後、ツーツーと電話が切れた無機質な音がした。ばあちゃんとの交流といえば、小さい頃、夏休みに何回か遊びに行った程度だった。 ぼくのばあちゃんは世間的に見てかなり変わっている方だ。どんな風に変わっているかといえば、皺くちゃの老婆っていう顔面をしているのに大胸筋やその他の筋肉がムキムキのマッチョで、素手で熊を 薙ぎ倒せるぐらいには強い。これはばあちゃんがしたホラ吹き話なんかじゃない。ぼくが襲われそうになった時に実際に体験した話だ。 そんなばあちゃんだったから、わけもわからず呼び出されたとき若干の恐怖を覚えた。行かなかったら行かなかったで顔面キックをくらわせられそうだったので自家用車に乗ってばあちゃんの家に行った。 ばあちゃんは昔の記憶と変わらないまま薄暗い光を放つ電球の下、玄関先に立っているぼくを見つめていた。そう、ジャックナイフのような瞳で。光が筋肉に反射してテカテカと光る。 「おお、よくきたじゃねぇか」 その巨大な体格と無駄に着こなしている純白のタンクトップには似合わない普通のおばあさんのような声だった。 「……ひ、ひさしふりです。これ、お土産とか東京の名物が入ってるので」 思わず、取り繕った会釈をしながらビクビクと震える指先に提げていた紙袋をばあちゃんに渡す。その一挙一動にずずんと効果音がなりそうだった。 「ああ、ありがてえじゃねぇの」 にかにかと真っ白な歯を見せて笑う。そんな様子を見てぼくもにかっと苦笑いした。愛想笑いかもしれない。 「じゃあ、ちょっと縁側で待っとけや。準備してくるから」 そんな言葉に促されてぼくは檜の香りがする床の上に座っているわけだった。夏の感触を感じながら、どくどくと鼓動する心臓を落ち着かせている。緊張したせいか喉が水分を欲してひりつく。それにしても随分と時間がかかっているようだった。頭の中が真っ白で質問出来なかった準備とやらは一体なんなんだろう。そう思っていると、鼻先に何かが触れた。疑問符を浮かべて感触がした場所を指で拭ってみる。そして、指先を確認する。 満点の星空の中の星をひとつ、取り出したようなキラキラと光る丸い物体が付着していた。 鼓膜が破けるような轟音がぼくを襲った。なんだなんだと目を回しながら、音のする方向を向く。 あっ、と僅かに声が漏れた ぼくの指先にある不可思議な物体が何万個と集合して。セダンの形を作っている。そして、その中にはある光の粒子で出来たハンドルを握ったばあちゃん。 「わしがいくつかの世界の所有権を握っとる宇宙人ってことを教えてなかっただろ」 「さあ、孫よ。わしが死ぬ前に、お前がわしの世界を授ける資格があるかどうか」 「……試させてもらおうぞ」 ぼくの日常がガラガラと崩れていく音がした。
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