那須の牛乳工場

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那須の牛乳工場

 子供が小さかった時、自然食品に関心があった。子供はアトピーでも穀物アレルギーでもない。それでは何故かと言うと…… 地域で一軒だけタンポポコーヒーなどを販売している店を見つけた知人が紹介してくれたからだった。私はその店で牡蠣の殻などで出来たカルシウムの粉などを買っていた。でも経営に失敗したのか、,直ぐに閉店してしまったのだった。駅前から続くメインストリートから脇道に入った場所だから目立たなかったか、安全な食品に関心がなかっただけなのかもしれない。 そこで別の知人が入っていると言う一番基準が厳しいと噂の生活協同組合に参加してみることにした。でもその頃は食品と言える物はなく、購入出来るのは液体石鹼などの雑貨だけだった。その地域の会員数が絶対的に少なかったからだ。 『まずは牛乳からね。10人集まれば届けてもらえるようになるから』 そう言ったのは私をその会に誘った人だ。その人が本気だったから下の子供が小学生になった頃には日本一安全で美味しいとされる那須の低温殺菌牛乳が私の自宅に配達されるようになったのだ。 私はその牛乳を会員の方々にその日のうちに届けなくてはいけなくなった。 訪ねればいつも人がいてくれるわけではない。何度か伺ってやっと受け取ってもらったこともあった。たとえ出来たての製品であってもこんなやり方では傷んでしまう。それに私もパートで勤務していたのでそんなに時間をさけない。それでも引き受けたからには頑張るしかなかった。 いつか、こちらも日本一安全だとされる牛肉を食べてみたくなったからだ。 肉の品質は放牧か、小屋での飼育かでも違いが出るそうだ。特に牛に4っつある胃袋は、小屋飼いでは放牧に比べて柔らかくなるようだ。それでも放牧に拘る、霜降肉より美味いとされる牛肉を…… でもその年。頑張っていた私へのご褒美か、生協を通して那須の牛乳工場から招待状が舞い込んだのだった。ちょうど夏休みだったので子供達も参加することになった。子供達は大喜びだった。でも本当は、子供達を何処にも連れて行けない私が一番嬉しかったのかも知れない。 長男の3歳児健診の時に言葉の数が少ないと指摘を受けた。その後に訪問してくれた担当者から保育園に行ってみたらどうかとアドバイスを頂いたのだ。そうするためには働かなければいかなくなった。でもなかなか仕事は見つからなかった。 ある日、コンビニの貼り紙にパート募集の文字を見つけて飛び込んだ。午後1時から5時までだったので保育園は難色を示したが、なるべく早く迎えに来るからと言って理解してもらった。その後午前9時から午後5時になった。昼休みは1時間で、家に帰り掃除をしていた。その頃が一番充実していたから何とか乗り越えられたのかも知れない。
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