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(十)
水が異様に重かった。
服のせいばかりではない。
流れがあるようではないのに、掻いても掻いてもなかなか進まない。
(本当に水神が住むというのだとしても、秀は絶対に渡さない。これは僕のものだ。たったひとりの僕の番だ)
必死に右手で水を掻き、両足で水を蹴る。
(渡さない。渡さない)
(僕の秀)
(僕だけの秀)
幾度水を掻いただろう。幾度水を蹴っただろう。
気が遠くなりそうな距離を泳いだ気がした頃、左足が水底を蹴った。
必死になって水を掻き分け、ついに両足が土を捕らえた。
浮力がなくなり重くなった秀の体の背後に回り、両脇に手を差し込んで水から引きずり上げる。
口に頬を近づけるとかろうじて呼吸を感じた。
「秀、秀っ、しっかりしろ! 水を吐け」
横向きにして背中を叩く。
ごふっと音がした。
口を触ると液体が吐き出されていた。横向きのまま名を呼び続ける。
「秀っ、目を覚ませ、秀!」
「……りょう、さ……!」
えずいた秀の背をさすってやる。
はあはあと息をする秀の体を僕は抱きしめた。
「愛してる」
びくんと秀の体が震えた。
「愛してる。秀がたとえ兄でも、僕の番は秀しかいない。死のうなんてするな」
秀がしゃくり上げだした。
その顔に触れるとはらはらと涙がこぼれているようだ。
「わたくしはもうあなたのものです。あなたがうなじを噛んだその瞬間から、あなただけの――」
涙の声で、秀が言った。
「わたくしも良様を愛しております」
秀の手が僕の頬を包み、冷たい唇が触れあった。
「もうどこにも行くな」
「おそばにおいてくださいませ」
もう一度二人唇を合わせ、おずおずと舌を絡め合い、互いの思いを確かめ合った。
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