ただ、君に逢いたい

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ヤトラはまるで幼子のごとく、トウカの後をついてきた。 ずいぶん興味深げにこちらの挙動を眺めているなと思いきや、そのうち勝手に先回りして仕事を手伝うようになった。 男は見目が良かったが、手先も器用で、なにより頭が切れた。 トウカが面倒くさがって直さず身につけていた革鎧のほつれも、わずかにかしいだ小屋の扉も、大雨のあとずれてしまった玄関先の敷石も――いつのまにか、きちんと元通りになっていた。 「……ヤトラ、おまえ本当は何者なんだ」 とうとうある日の夕方、トウカは思い切って声をかけた。 「ほう。精霊は心を読むと聞いたが、トウカは直接聞いてくれるんだな。これは重畳(ちょうじょう)」 「失敬な。この私が無理矢理、他人の記憶をのぞいたりするものかっ」  ヤトラは土間で長椅子に座り、届いたばかりの緑豆(ムル)のさや取りをしているところだった。 慣れた手つきで卓上の豆をよりわけ、次々と籠に放りこんでいく。 そのなめらかな手のひらを見れば、作業を知ってはいても、普段こういう仕事をしない身分であることは一目瞭然。 なのに得手(えて)とはどういう道理なのだ。 「知りたいなら、まずは俺の横に座って隣の籠を手伝え。全部あんたの豆だろうが」 あごで指図され、そうだったと長椅子にこしかけた。 最初にきた晩に出した豆のスープをこの男がたいそう喜んだので、また取りよせたのだが……少々たのみすぎたか。 「悪かったな。おまえが好きそうだから、今宵の晩飯に出してやろうかと思ったんだ」 なるほど、それでこの量か、と横でヤトラがくっくっと押し殺すように苦笑する。 トウカは急にいたたまれなくなって顔を上げた。 「笑うなっ。私だってまさか、いきなりこんな量がくるとは思ってなかっ……?!」 だが最後まで、言葉を口に出せなかった。 ちりん。胸内に響く、高く澄んだ鈴の音。 男の熱く湿った唇が自分の唇を(ふさ)いでいる。 目を見開いた。どうして。なんで。 わけがわからない。頭が真っ白になった。 「――ありがとう、トウカ」 ヤトラのささやく声は低く甘い。 艶やかな響きに胸がどきどき鳴った。 もっと距離をとりたいのに、金縛りにあったみたいに、黒くきらめく瞳から視線をそらせない。 くそ、たかが人間風情――なのになぜ、こいつはこんなに綺麗で儚げで、それでいて逆らえない雰囲気を持って私を見つめる……?! 「籠の中身を確認した時から、あんたがなぜこれをたのんだのか、わかっていたさ」  ヤトラはわずかにほほえんだ。 「トウカは、精霊なのにいい女だな」 「っ、そ、それはどういう意味だっ」 「ふふ。そうすぐ怒るな、美人が台無しだぞ」 「び……? よけいなことばかり言ってお茶を濁していないで、私の質問に答えろ!」 「ああ、そうだった」ヤトラは目を伏せると、 「俺は……迷い森と領地の一部を接するセイグスタ国の王の息でな。 いちおう身分は高いが妾(めかけ)の子だったもんで、おさない頃ころより辺鄙な田舎城育ちだ。 遊び仲間も使用人の子だったり、学者や楽士、兵卒の子供だったり――」 けど、それで十二分に満足だった、とヤトラは言った。 俺は上の身分の者たちと着飾ってふわふわ暮らすより、領民に混じって地に足のつく生活をするほうが、性分に合っていたんだ。 独りごちるようにつぶやく。 「だが、周囲は俺に期待していた……特に若い連中は王権の持つ恐ろしさを、まったく理解しないままに、な」 沈黙が落ちた。 ヤトラはじっと自分の手を見つめていた。 「そうか、セイグスタ王国では去年の夏に血で血を洗う政変が起きたと聞いた。もしや王位を簒奪(さんだつ)しようとしたふとどき者の王子とは、おまえだったのか、ヤトラ」 「……精霊のくせに、くわしいな」 「まあな。現世(うつしよ)には、私たちの目となり耳となる鳥や動物がたくさんいるから」 「なるほど……。だが俺たちはただ、重税にあえぐ民を救いたかっただけだ。父は足元の困窮には目をつむり、(おのれ)の武力ばかり誇示して、西の大国と戦争するすんぜんでな。今そんなことをしたら、本当に国が傾くというのに――」 「それでおまえは、ここに逃げてきたのか」 乾いた声で問いかけると、男はまた笑った。疲れきった目をして。 「逃げる? まさか。俺は領地見回りの際に森に迷っただけで……いや、そうだな、幼い頃に母が死んで以来、俺はずっと独りだった。 そんな俺にもようやく、守りたいと思える仲間や友ができて――、それがどんなにうれしかったか。 なのに、俺は皆に苦しみをあたえることしかできなかった……ようするに」 俺はあちら側で必要とされない、いないほうがいい人間なんだ。 深く息を吐くと、じっとトウカを見つめる。
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