ただ、君に逢いたい

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「なあ、あんたさえ俺を受け入れてくれれば、俺は霧の国で生きていけるんだろう。 たのむトウカ、このとおりだ。 どうか精霊の王に取りついで、このままここにいさせてくれ」 深々と頭を下げる男のうなじを眺めながら、トウカは奥歯を噛みしめた。 自分より上背もある立派な体躯の男が――なんて無防備な姿を晒しているんだ。 「やめろ。私に取り入ろうとしても無駄だぞ」 いたたまれなくなって、顔をそむけた。 わかっている。 ヤトラはただ、トウカが砦を守る戦乙女(いくさおとめ)だから、こうやって最大の礼をつくしているだけで。 きっと先刻の接吻だって挨拶代わりで、深い意味などないはずで。 (くそっ、『死にたがり』め……!)  この砦にたどりつく人間は、たいていが生命(いのち)の草ねらいの賊徒、あるいは道に迷った俗物、まれに神樹伝説の真偽を確かめに来た賢者というところだった。 だが中にはヤトラのような者もいると、話に聞いてはいた。 (おまえは本当にそれでいいのか……?)  ――ちりん、心の中で鈴が鳴る。 そう、問わずともすでに答えは出ている。 ヤトラは精霊とも共鳴できる心を持つ。合格だろう。王はこの人間を受け入れる。 なのに今、無性にそのことが腹立たしく哀しくて、どうしても素直にうんと言ってやることができなかった。 「――そろそろ機嫌を直したらどうだ」 また夜泣き鳥が鳴いた翌日、書き付けを持って小屋を出たトウカを追い、ヤトラはあきれたように声をかけてきた。 「気にさわったのなら謝ると、何度も言っているだろう?  いい加減、口をきいたらどうだ」 まったく世に名高い戦乙女が、まさかこんな強情っぱりの子供(がき)だったとはな、聞こえよがしにつぶやかれ、トウカは思わずむっと後ろをふり返った。 それを待っていたかのように、ヤトラはひょいとトウカの手から書状を取る。 トウカにわざと届かない高さに持ち上げながら、くだんの大木のうろに軽く押しこんだ。 「それにしても、この木は……すごいな。二百年は前からここに生えているんじゃないか」 「っ、『王の木』に軽々しく触るな!」 怒鳴ってしまってから、しまったと口に指をあてたが、もう遅かった。 「……王の木? なんの話だ」 トウカをしゃべらせるのに成功したヤトラは、嬉しそうににやにやしている。 「そうだ。その木は精霊王の目であり、耳だ。そして私たちの母でもある」 不可解な顔をする男を見上げ、トウカは腰に手を当てると精一杯、胸をはった。 「ヤトラ。おまえたち人は、子を母親の胎内に宿すそうだな。だが私たち精霊は子供は産まない。子が欲しければ、王の木に託すんだ」 「なに」 「精霊の男女は夫婦になると、魂を重ね合わせる。その魂の一部を、王の木の養分として吸わせるんだ」 不可解な顔をする男を無視し、話し続けた。 「すると木はその霊動を受けて花を咲かせ、実をつける。やがて、たわわに実った果実の中からは夫婦の幼児が生まれてくる。人間のように赤子ではなく、な――」 「は。冗談だろう、そんなおとぎ話……」 「本当のことだ。精霊は嘘は言わない。もし掟を破れば、王がその者の魂を木に喰わせる」 ヤトラはぎょっとしたようすで大木から手を離した。 「だが、王の木にも一つ難点があってな。人が生命(いのち)の草とありがたがる星蘭(せいらん)草が、近くで花粉を飛ばさないと、花芽が出ないんだ……」 「この薄紅の花は、星蘭(せいらん)草じゃないのか」 「それは桜蘭(おうらん)草だ。似ているが葉の形がちがう。(くき)に毒を持つ、うかつに触るなよ」 トウカは目をふせ、いとおしむように王の木を撫でた。 なるほど、とヤトラは呟く。 「しかしトウカ、いいのか? そんな話を俺に明かして。それはもしや、あんたたち精霊族にとって極秘事項ってやつなんじゃ――」 「かまわない。というより、問題はそこじゃない」トウカは穴のあくほど男の目を見つめると「ヤトラ、おまえは精霊じゃない。人だ」 「なんだ、(やぶ)から棒に」 「人は精霊同士のように、夫婦になっても魂を重ねたりはできない。つまり、この国で暮らすつもりなら……おまえは精霊王の下僕(げぼく)となることはできても、一生こちらの者とは子をなせないんだ――」 結局、誰とも真にはつながれない。それでも霧の国に留まりたいのか、顔色を無くした男に言いはなつ。 「私は気休めは言わない。すべてを包み隠さず、おまえに話すと決めた」 強い光を緑の瞳にやどして相手を見た。 「いいか、いったん霧の国の住人になってしまえば、人間としてのおまえは死ぬ。だが肉体が滅んだところで人は、けっして人以外のものにはなれない……」
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