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組み立て式の夢
空から降ってきたみたいな煙突が何本も並んで、そのどれもがごうごうと煙を噴き上げている。
何かを燃やして出たものなのか、はたまた水蒸気か、もしかすると出ているように見えているだけで空の成分を吸い込んでいるのかもしれない。
工場は十年前――二〇七七年だったと記憶している――に完全に機械化されてしまったので、本当のところは僕ら一般市民にはわかりっこない。何も作っていないけれど、形式上動いているように見せているだけの可能性だってある。
防犯意識の欠片もないがばがばの有刺鉄線の間を潜り抜けて、見上げるほど大きなタンクの間を歩く。
海沿いをひたすらまっすぐ進んでいくと、少しはずれたところにいつものプレハブ小屋が見えた。家だといっても差し支えない大きさのそれは、まるで僕の帰りを待っていたかのようにぬらっと暗闇の中に立っていた。
秘密基地という言葉を使うにはもう年を重ね過ぎた気もするのだけれど、まだ社会人二年目。許されても良いのではないかと考えながら、ほんの少しの背徳感とともにネクタイを外した。いつもなら鞄にしまうネクタイを、今日は海に投げ捨てる。どこまでも暗い海はネクタイをいとも簡単に飲み込んでしまった。
あんなものはもう必要ない。今日までは社会人二年目の僕も、明日には世界初のタイムトラベラーになっているはずなのだから。そこまで考えて、それなら正装のほうが良かったのではないかと思っても海がネクタイを返してくれるわけがない。
この世界の情報ともおさらばだと、手首に巻いた携帯端末を海に投げ捨てた。できるだけ遠くへ投げたつもりなのだけれど、すぐにぼちゃんという音が響いた。
これで僕を縛るものは何もない。
プレハブ小屋に鍵を差し込んだとき、違和感に気が付いた。
鍵が開いている。
あんな大事なものをしまっているのに鍵を閉め忘れることは考えにくいし、誰かがここに入ってきたということはもっと考えられない。
恐る恐る扉を開けると、小屋のなかからヒッと甲高い声が上がった。
「だ、誰?」
それはこちらのセリフだ。
声の主が手に持った細長い携帯端末に照らされて、青白い顔の少女が暗闇に浮かび上がる。中学生くらいだろうか。電気をつけると、眩しそうに目を細めた。
彼女は妙に分厚い携帯端末を二つに折りたたんでから再度僕を見て身を縮めた。折り畳み式の携帯端末は初めて見るが、最近発表されたのだろうか。ニュースを飛ばして読む癖がついてから、なにかと情報についていけない。
部屋の中央に置かれたものが無事だということに安堵して、彼女に優しく語り掛ける。
「名前は?」
「アサヒ」
「どうしてここにいるの?」
「えっと、家出……」
「家出?」
警戒するような仕草を見せていたアサヒだったが、少し話してみると次第にこのプレハブ小屋が僕のものだと分かったらしい。彼女は安心したようにほうっと息を吐いた。肩で切り揃えられた髪は、今どき珍しい黒色で、アーモンド形の瞳は少し腫れている。
「タイムマシンには何もしてないか?」
「タイムマシン?」
「そう、タイムマシン」
彼女が復唱したので、僕もそれを返して真ん中に置いた箱を指さす。小屋の中の小屋といってもおかしくないだろう。学生時代からの研究の成果が、プレハブ小屋の中央に鎮座している。
アサヒは僕の言葉を聞いて、目を輝かせた。この手の話題で、そういう反応をされたのは初めてだ。
「お兄さんはタイムマシンでどこに行くの?」
「未来だよ、未来」
「未来には何があるのっ?」
「さあ、何があるかわからないから行くんだろ」
「どれくらい未来がいいかな? 二一〇〇年とか?」
「そんなの近すぎるだろ。今日はこの中で眠るんだ。そうすれば、ずっと先の未来に行ける」
子供の言う未来は、十数年のことなのか。僕の言う未来は、もっと先だ。
同年代の友人は僕のこの理想を馬鹿にしたけれど、アサヒはその言葉を聞いてさらに明るい表情を見せた。
その反応が新鮮で嬉しくて、彼女がどこのだれかなんてもうどうでもよくなる。タイムマシンの詳しい構造をできるだけ専門用語を織り交ぜながら話してやると、彼女は僕を尊敬したような目で見て、うっとりとしたまま口を開いた。
「一緒に入ってもいいっ?」
「え、いや、一緒に寝るってことだぞ?」
「うん! 平気! 私も未来に行ってみたい!」
いくら中学生くらいだとはいえ、女の子が出会ったばかりの男と添い寝するというのはいかがなものだろうか。
「ねえ、いいでしょ?」
「いや、でも……」
「私も未来に連れてって」
断らせないというような言い方に負けて、僕は仕方なくジャケットを脱いだ。
タイムマシンを開いて、アサヒを招き入れる。中には家から持ってきたシングルの布団が敷いてあって、その周りがたくさんの機械に囲まれている。
彼女はそれを見て、感嘆の声を漏らした。興奮気味に俺のほうを向いて、小さな手で自分の頬を包む。
「家出じゃなくて、時間の旅になるんだね!」
「ん、そうだな」
さっきまで添い寝だなんだと考えていたが、これはただ寝るだけじゃない。未来への旅行なのだ。
僕も中に入って扉を閉めた。スイッチをいくつか押して、タイムマシンを起動させる。
初めて嗅ぐ女の子の匂いにくらくらしながら、僕はすぐに意識を手放した。
アサヒを連れて工業地帯を抜け出す。外の風景は何も変わっていなかった。
きいたことのないニュースが飛び交っているのは、一日情報を遮断したせいだろう。これだけでは時間の移動に成功したのかわからない。
「もし、今は何年ですか?」
「二〇八七年だよ」
通りすがりのおじさんは、当たり前のことを尋ねる僕を不信がることなく、そう答えてくれた。
ああ、何も変わっていない。昨日と同じだ。失敗したのだ。
がっくりと肩を落とす僕に気を使ったのだろう。アサヒはしきりにすごいすごいと繰り返していた。
(17/07/30時空モノガタリ【旅】最終選考)
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