桜の娘

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「くふふふっ、あははははっ」 高笑いをしたのは鬼神だった。 「これは珍しいものを拾ったものよ。呪詛をその身に取り込んで、無事に済む者など初めて見た。どうしてお前は夜叉にならぬ?」 気付けば、この身を焦がすほどに熱く、どす黒かったものが全て綺麗に消えていた。父の義治が負っていた痕さえもすっかり消えている。 「と言われましても……知りませぬ」 首を傾げるより他無かった。 「ただ……領民らの心が護ってくれたように思います」 愛しいという想いだけが残って、心が熱かった。 その余韻が名残惜しくて、涼音は胸元を抑え込んだ。 「姉さん……」  (りょう)の声に涼音は我に返って振り返る。 気まずい面持ちの弟と目を合わせた途端、押し倒さんばかりに、涼音は自分の片割れに抱き付いた。 その温かい体温に、共に生きていると実感する。 込み上げてくるもので胸が軋むほどに締め付けられた。 その想いのままに更に力いっぱい抱きしめた。 互いにくぐもった声を上げれば、父の義治が吹いた。 「くはははっ。そなたの姉は本当に、弟狂いよな」 「えっ……?」 自分を絞め殺そうとしているのか、一向に離れてくれない姉をそのままに、涼は父を見遣った。 「知らぬのか?それは、そなたを真似てばかりだ」 弟の見ている世を見たくて、(りょう)の姿に扮しては領地に赴いておろうが……。と、父は苦笑いする。 「それだけではないぞ?そなたの読む書物ばかり漁る故、兵法や、儒教、算術にばかり長けても……と、女房らが頭を抱えておるわ」 手に壁を立て、(りょう)の耳元に父は囁く。 『お前、艶本は隠しておろうな……』 「……ありませんよ。そんなもの」 呆れた眼差しで返した。 興味が無い訳ではない。 ただ、あれで盛る気にはなれない性分というだけだ。 抱きたいなら抱けばいいではないか。 「「お前、大物になるな……」」 父と同調する鬼神に、(りょう)は一変して真面目な目を向けた。 「姉さん、落ち着いたら放してくれるか?」 コクリと、頭が傾いだと思ったら、涼音は海月(くらげ)のように力を抜いて崩れてしまった。 「ね、姉さんっ!?」 驚いた(りょう)に返事をしたのは鬼神だ。 「案ずるな。気が抜けた反動だ。寝かせておいてやれ」 (りょう) は姉に自身の着ていた羽織を掛けてやり、そのまま涼音を隠すように向き直った。そこには憑き物が落ちた精悍な面構えがあった。 未だ(いとけな)さを残しつつも、何世代にも続く豪族の嫡子たる顔だ。 「此度のこと、誠にありがとうございます」 (礼を尽くす言葉の割には、姉を取られまいと敵意剥き出しだな……) 鬼神は鼻白んで、涼音のそれと似た顔を見下ろした。
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