赤い糸

5/24
前へ
/37ページ
次へ
 その夜、涼音は夢を見た。  目の前の光景に、ああ、これは夢だと理解する。 昼間に観た青の舞姫が人として現れお辞儀をしていた。 「初めまして、鞍馬の小天狗どの。私は青丞(せいじょう)とでも申しておきましょうか」 「夢枕に立ってまで、あなたは私に何をお求めか?」 「あなたならばどうされるか、お聞きしてみたいと興が湧いたのです」 一族の仇を打つために、愛しい男を殺すか、殺さぬか、あなたならばどうされますか?と、青丞は涼音に訊ねた。 「そうですね……。私も考えましたが、身に置き換えるのは難しいと匙を投げました」 肩を竦める涼音に、青丞はくつくつと笑んだ。 「正直な方ね……」 「人はいつか死ぬ。急がずとも(おのれ)もいつかは死ぬものです。与えられた生を全うしてもらいたかったと思います。ですが、それでは時を選ぶことは出来ない。共に寄り添い来世に旅立ちたいと、願ったの気持ちも尊いものに思うのです」 青丞は大きく目を瞠った。 「なっ、あ、あなたは何を言うの……!?」 「まさか、マラは……マラがそうだったとでも!?」 「さぁ?ですが、人の視方は千差万別、私にはそう見受けられただけです」 涼音はまた肩を竦めてみせた。 マラは、多くの者らの犠牲の上に王位があることを知っていた。 そんな男が安易に毒を煽るとは思えない。 「では、あなたはどういう心持で自刃を?」 「私が殺さなければ、浮かばれないと、このような想いは許されることでは無いと……」 一族にいきなり刃を向けて強奪の限りを尽くしたマラの一族。 青丞の親も兄弟も皆、殺された。 彼らの無念を生き残った者が晴らさずして、誰が晴らせると言うのか。 青丞はやるせなさに打ち震えた。 そして、信じる者を裏切る代償として自刃した。 「なるほど、贖罪でしたか」 「……あなたの言われるような気持ちを抱くことは、私には許されないわ」 青丞の一族にとっても、マラにとっても。 青丞の心は八方塞がりとなり、押し殺された。 「贖罪には足りませんか?」 青丞は今尚、独り彷徨い、苦しんでいる。 「足りる筈がないのよ。愛しい人に手を掛けた。あれほど私を愛してくれた人を、私は裏切ったのよ……」 未だに八方塞がりで、青丞は行き場を失っていた。 「もう、十分ですよ」 他人事のように軽く言う涼音に青丞は柳眉を逆立てた。 「勝手なことをっ……。やはり、あなたは何も分かっていない!」 「そうですね。ですが、それはあなたの方かもしれません。マラがあなたを待っているのだとしたら?」 「なっ!?そ、そんな訳……」 「無いとは言い切れぬほどにあなたを愛してくれた。マラの愛は本物だったと知っているからこそ、あなたは今尚苦しい。違いますか?」 青丞は押し黙った。 「私には、お二人に月下老人の『赤い糸』が結ばれているように見受けられましたのでね」 月下老人とは大陸に伝わる仙人で、夫婦となる男女に赤い糸を結ぶ縁結びの神とされている。 「それは望んではならない、罪なことです……」 「そうかもしれませんが、人の心が移ろいゆくものだと言うことは、太古より至極当然の(ことわり)でしょう?それはもう、人としての特権に思うのです」 独特の(ことわり)を説く涼音に、青丞は驚き、次いで呆れたような顔を向けた。 「ふふ。ところで、月下老人の逸話をご存知ですか?」 涼音はにっこりと微笑んで、傀儡子のように青丞に語り聞かせる。  かの神が、ある男に示した妻は、貧しくみすぼらしいまだ幼い娘だった。 それを憤慨した男は幼女を斬り捨ててしまおうと、刀を振った。 「神の定めた運命から逃れようとしたのです」  しかし、その娘の母が盾になり、娘は事なきを得た。 やがて、美しく成長した娘は、かの男と再会を果たすことになる。 男は娘に心奪われ、改心し、やがては娘も全てを受け入れ、男を許した。 「よくもそんな男に嫁ぐ気に?と、思いませんか?人の思惑など越えるほどに神の意志は堅いのでしょうね」 誰かの所為にしてでも良いのだと、涼音は言いたかったのだ。  青丞はハラハラと泣いてしまう。 「すみません。泣かせるつもりはなかったのです」 手巾を探したが、袂には無かった。  仕方がないので袖で、その美しい頬を拭う。 寄り添う誰か、誰でもいいほどに人の温もりを青丞が求めているように思えた。 「随分長い間、心を痛められていたのですね……。来世ではどうかお幸せにと、私は願っております」 青丞は「あなたもね」と、微笑んで、煙に消えてしまった。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加