34人が本棚に入れています
本棚に追加
その夜、涼音は夢を見た。
目の前の光景に、ああ、これは夢だと理解する。
昼間に観た青の舞姫が人として現れお辞儀をしていた。
「初めまして、鞍馬の小天狗どの。私は青丞とでも申しておきましょうか」
「夢枕に立ってまで、あなたは私に何をお求めか?」
「あなたならばどうされるか、お聞きしてみたいと興が湧いたのです」
一族の仇を打つために、愛しい男を殺すか、殺さぬか、あなたならばどうされますか?と、青丞は涼音に訊ねた。
「そうですね……。私も考えましたが、身に置き換えるのは難しいと匙を投げました」
肩を竦める涼音に、青丞はくつくつと笑んだ。
「正直な方ね……」
「人はいつか死ぬ。急がずとも己もいつかは死ぬものです。与えられた生を全うしてもらいたかったと思います。ですが、それでは時を選ぶことは出来ない。共に寄り添い来世に旅立ちたいと、願ったあなた方の気持ちも尊いものに思うのです」
青丞は大きく目を瞠った。
「なっ、あ、あなたは何を言うの……!?」
「まさか、マラは……マラがそうだったとでも!?」
「さぁ?ですが、人の視方は千差万別、私にはそう見受けられただけです」
涼音はまた肩を竦めてみせた。
マラは、多くの者らの犠牲の上に王位があることを知っていた。
そんな男が安易に毒を煽るとは思えない。
「では、あなたはどういう心持で自刃を?」
「私が殺さなければ、浮かばれないと、このような想いは許されることでは無いと……」
一族にいきなり刃を向けて強奪の限りを尽くしたマラの一族。
青丞の親も兄弟も皆、殺された。
彼らの無念を生き残った者が晴らさずして、誰が晴らせると言うのか。
青丞はやるせなさに打ち震えた。
そして、信じる者を裏切る代償として自刃した。
「なるほど、贖罪でしたか」
「……あなたの言われるような気持ちを抱くことは、私には許されないわ」
青丞の一族にとっても、マラにとっても。
青丞の心は八方塞がりとなり、押し殺された。
「贖罪には足りませんか?」
青丞は今尚、独り彷徨い、苦しんでいる。
「足りる筈がないのよ。愛しい人に手を掛けた。あれほど私を愛してくれた人を、私は裏切ったのよ……」
未だに八方塞がりで、青丞は行き場を失っていた。
「もう、十分ですよ」
他人事のように軽く言う涼音に青丞は柳眉を逆立てた。
「勝手なことをっ……。やはり、あなたは何も分かっていない!」
「そうですね。ですが、それはあなたの方かもしれません。マラがあなたを待っているのだとしたら?」
「なっ!?そ、そんな訳……」
「無いとは言い切れぬほどにあなたを愛してくれた。マラの愛は本物だったと知っているからこそ、あなたは今尚苦しい。違いますか?」
青丞は押し黙った。
「私には、お二人に月下老人の『赤い糸』が結ばれているように見受けられましたのでね」
月下老人とは大陸に伝わる仙人で、夫婦となる男女に赤い糸を結ぶ縁結びの神とされている。
「それは望んではならない、罪なことです……」
「そうかもしれませんが、人の心が移ろいゆくものだと言うことは、太古より至極当然の理でしょう?それはもう、人としての特権に思うのです」
独特の理を説く涼音に、青丞は驚き、次いで呆れたような顔を向けた。
「ふふ。ところで、月下老人の逸話をご存知ですか?」
涼音はにっこりと微笑んで、傀儡子のように青丞に語り聞かせる。
かの神が、ある男に示した妻は、貧しくみすぼらしいまだ幼い娘だった。
それを憤慨した男は幼女を斬り捨ててしまおうと、刀を振った。
「神の定めた運命から逃れようとしたのです」
しかし、その娘の母が盾になり、娘は事なきを得た。
やがて、美しく成長した娘は、かの男と再会を果たすことになる。
男は娘に心奪われ、改心し、やがては娘も全てを受け入れ、男を許した。
「よくもそんな男に嫁ぐ気に?と、思いませんか?人の思惑など越えるほどに神の意志は堅いのでしょうね」
誰かの所為にしてでも良いのだと、涼音は言いたかったのだ。
青丞はハラハラと泣いてしまう。
「すみません。泣かせるつもりはなかったのです」
手巾を探したが、袂には無かった。
仕方がないので袖で、その美しい頬を拭う。
寄り添う誰か、誰でもいいほどに人の温もりを青丞が求めているように思えた。
「随分長い間、心を痛められていたのですね……。来世ではどうかお幸せにと、私は願っております」
青丞は「あなたもね」と、微笑んで、煙に消えてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!