赤い糸

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「お前、またあんな鬱陶しいものに憑かれて来やがって……」 声に振り向けば、二股の尻尾に赤い糸を結んだクロネコがいる。 「良いではないですか。祓うのが私の務めですよ?」 クロネコと交した約束の千にはまだまだ程遠い。 「今日は、どうしました?」 今様を観ずにクロネコは帰ってしまったのだ。 「別に……そんな気分じゃなかっただけだ」  何となく、心許ない風情に見えてしまい、涼音はクロネコを抱き上げる。 『気安く抱きかかえるな』と、叱責を受ける前に、涼音は先手を打った。 「ここは私の夢枕。夢の中でくらい好きにさせるべきでは?」 眉間に皴を寄せるも、クロネコは口を噤んだ。 それは許しの証。 暫くの間、彼の毛並みを整えるように、涼音は手を滑らせた。 「なぁ、あの時……どうして身代わりに成ろうなどと出来た?」 弟、(りょう)の穢れに触れた時のことだと直ぐに理解できたのは、ちょうど昼間に思い起こしていたからだ。 「誰かのために死ぬことは、誰かのために生きることよりも安易だったりするのですよ」 少なくとも、あの時の涼音は(りょう)を失うことの方が怖かったのだ。 「……そう……かもな」 そっぽを向きながら、苦々しい口調でぼそりとクロネコは零した。 そして、涼音の腕の中から抜け出るや、心機一転に牙を剥いた。 「次は浅ましいまでに、生きることを選択しろ。弱ぇ、奴なんざ鬱陶しいだけだっ!!!」 「か、畏まりました」 急に怒気を(みなぎ)らせたクロネコに面食らったが、いつも通りに元気になったようで良かったと、涼音は笑んだ。 「な、何を笑ってやがる!?笑う暇があるなら、構えろっ」 まさか、これから鍛錬を始めるとは流石に思わなかったが、クロネコは容赦なく精神波動をぶつけて来た。 「くっ……!」 荒れ狂う大波のようなそれに飲み込まれる前に涼音は宙に跳ぶ。 「まったく……本当に気紛れな(ねこ)だ」 バラリと扇を広げて唄を口ずさむ。 『そよ 天つ風 涼しくもあるか うちよする 荒ぶる風も 同じと思えば』 (天の風よ 涼しいものだよ 打ち寄せる 荒々しい風も 私『(すず)』の風だと思えばね)  扇を翻せば、クロネコの荒ぶる風がまるで巻き糸のように巻き取られる。さらに天に向けて扇げば、それは大龍のように昇って霧散する。  そんな、クロネコと涼音の攻防は夜が明ける頃まで続いた。 「ふぅ……秋の夜長とはよく言ったものですね」  夢の中とは言え、疲労感は凄まじい。 涼音は玉の汗を額に浮かべる。    僧や祈祷師、そして陰陽師などは精神力を神通力に変え、呪術を行使する。いかなる時でも確固不抜(かっこふばつ)であることが求められ、霊力を鍛えることは、精神力を鍛えることに等しい。 夢、つまり精神世界は正に格好の場と言えた。これまでも涼音は、このようにしてクロネコに鍛え上げられてきたのだ。 ((すず)から少し妙な気配を感じて、夢へ来てみたが……。気のせいだったか?) (まぁ、もう俺が気に病まずとも、大抵のものは祓えるようになったか……) 「人の成長とは早いものよな……」 荒れ狂う雷撃を放ちながら、クロネコは誇らしげに、そしてどこか寂し気に口角を上げていた。
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