34人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
涼音には双子の弟、涼がいる。
涼音が故郷を離れてもう随分になった。
今では、たまに文を送り、その息災を祈るばかりとなっていた。
四年前に遡るあの日、人身御供に流された郡司の娘、涼音は鬼神、早良親王に救われた。
鬼神の心を動かし長雨を止めさせ、洪水の危険から領地を護った涼音は、その地を代々治める豪族の父、小野義治の下へと、人知れず戻った。
嫡子としてのこの身は、もはや死んだものとされている。人目を忍んだのは、屋敷の者らを驚かせてはいけないと、配慮してのことだった。
舞い戻ったはいいが、屋敷は思いのほか静かだった。
けれど、雨が止んだことで、視察に出ているものが多いのだろうと、さほど気にはならない。
しかし、喜ばれると、さぞや安堵されることだろうと、弾ませていた息を涼音は飲むことになった。
「ゔあぁぁあぁ」
部屋は荒らされ、弟の涼が狂わんばかりに床をのたうち回っている姿に唖然となった。
そして、その手や顔には赤黒い染みが火傷のように広がっていた。
「ど、どうしたの!?」
チッ
舌打ちと共に、涼音の傍らに顕現した鬼神は忌々しいばかりに告げた。
「これは呪詛返しだな」
「じゅ、呪詛返し?」
まるで毒を呷ったかのように、苦し気に胸元を掻きむしる涼の手は、爪が剥がれて血が流れている。
開けた胸元には、逆五芒星が皮膚の肉を盛り上げて浮き出ていた。
「長雨はこいつを引き金にしていたって、話だ」
呪詛を仕掛けて長雨を呼び込み、人を呪った。
その呪術を鬼神が打ち破ったせいで、呪術は仕掛けた者に還ったと言うのだ。
「う、嘘っ!」
そんなのは嘘だと、目の前の光景が受け入れられず、涼音は涼の下へ駆け寄ろうとするが、鬼神に阻まれた。
「触れるなっ!穢れに触れれば侵されるぞ」
「そ……そんな」
では、どうすればと、目で訴えるが、鬼神は眉根を寄せて口を噤んでいる。
その顔で解ってしまった。
けれど、やはりそれも容認できずに、涼音は声を荒げた。
「どうすれば救えるのかっ!?」
「……殺せ」
素っ気なく目を逸らす鬼神に打ちひしがれる。
涙が溢れ、涼音は下唇を痛いまでに噛んだ。
(やはりそれしか術は無いの……?)
「本当に、す、涼か……?」
背後から現れたのは、従者に支えられた父、義治だった。
涼に触れたのだろう、穢れに侵され、手から首へ向かって火傷のように肌が爛れている。
「ち、父上……」
縋るように涼音はたった一人の名を呼んでいた。
恥じ入るほどに、さぞや情けない顔をしていただろう。
けれど、父も一国の領主たる顔ではなく、まるで幼子に向ける目をして、笑ったのだ。
場違いなまでの、久しぶりに見る優しい笑みだった。
おそらく、御仏とはこうした顔をされているのだと、涼音には思えた。
「ようやった。儂はお前を誇りに思う」
その手には太刀が握られていた。
「そ、それは――」
この地を代々治めて来た豪族の誇りとする名刀『稲穂』だった。
最初のコメントを投稿しよう!