桜の娘

2/13
34人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
 涼音(すずね)には双子の弟、(りょう)がいる。  涼音が故郷を離れてもう随分になった。  今では、たまに文を送り、その息災を祈るばかりとなっていた。  四年前に遡るあの日、人身御供に流された郡司の娘、涼音は鬼神、早良親王に救われた。  鬼神の心を動かし長雨を止めさせ、洪水の危険から領地を護った涼音は、その地を代々治める豪族の父、小野義治(おののよしはる)の下へと、人知れず戻った。  嫡子としてのこの身は、もはや死んだものとされている。人目を忍んだのは、屋敷の者らを驚かせてはいけないと、配慮してのことだった。  舞い戻ったはいいが、屋敷は思いのほか静かだった。  けれど、雨が止んだことで、視察に出ているものが多いのだろうと、さほど気にはならない。  しかし、喜ばれると、さぞや安堵されることだろうと、弾ませていた息を涼音は飲むことになった。 「ゔあぁぁあぁ」 部屋は荒らされ、弟の(りょう)が狂わんばかりに床をのたうち回っている姿に唖然となった。 そして、その手や顔には赤黒い染みが火傷のように広がっていた。 「ど、どうしたの!?」  チッ 舌打ちと共に、涼音の(かたわ)らに顕現した鬼神は忌々しいばかりに告げた。 「これは呪詛返しだな」 「じゅ、呪詛返し?」 まるで毒を呷ったかのように、苦し気に胸元を掻きむしる(りょう)の手は、爪が剥がれて血が流れている。 (はだ)けた胸元には、逆五芒星が皮膚の肉を盛り上げて浮き出ていた。 「長雨はこいつを引き金にしていたって、話だ」 呪詛を仕掛けて長雨を呼び込み、人を呪った。 その呪術を鬼神が打ち破ったせいで、呪術は仕掛けた者に還ったと言うのだ。 「う、嘘っ!」 そんなのは嘘だと、目の前の光景が受け入れられず、涼音は(りょう)の下へ駆け寄ろうとするが、鬼神に阻まれた。 「触れるなっ!穢れに触れれば侵されるぞ」 「そ……そんな」 では、どうすればと、目で訴えるが、鬼神は眉根を寄せて口を噤んでいる。 その顔で解ってしまった。 けれど、やはりそれも容認できずに、涼音は声を荒げた。 「どうすれば救えるのかっ!?」 「……殺せ」 素っ気なく目を逸らす鬼神に打ちひしがれる。 涙が溢れ、涼音は下唇を痛いまでに噛んだ。 (やはりそれしか術は無いの……?) 「本当に、す、(すず)か……?」 背後から現れたのは、従者に支えられた父、義治だった。 (りょう)に触れたのだろう、穢れに侵され、手から首へ向かって火傷のように肌が爛れている。 「ち、父上……」 縋るように涼音はたった一人の名を呼んでいた。 恥じ入るほどに、さぞや情けない顔をしていただろう。 けれど、父も一国の領主たる顔ではなく、まるで幼子に向ける目をして、笑ったのだ。 場違いなまでの、久しぶりに見る優しい笑みだった。 おそらく、御仏(みほとけ)とはこうした顔をされているのだと、涼音には思えた。 「ようやった。儂はお前を誇りに思う」 その手には太刀(たち)が握られていた。 「そ、それは――」 この地を代々治めて来た豪族の誇りとする名刀『稲穂』だった。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!