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「饗宴……そこで私が舞をですか?」
それは、クロネコが涼音の元を去って両手が過ぎるほどの頃だった。
川原院の大臣が参内する前のこと。
いつものようにその日の吉凶を占う涼音に、大臣が歯切れの悪い様子で申し伝えて来た。
「陰陽寮と懇意にある者らと、その……ちぃとばかり張り合ってしまってな……」
話しを聞いた涼音は、額を押さえて項垂れてしまう。
「それで十三夜月の宴に私が豊穣を祝う舞を披露するということに?」
話は昨日の出仕の終える刻限に始まった。
各々が抱える陰陽師の腕自慢で盛り上がりを見せたのだという。
そこで大臣は息巻いて、「『鞍馬天狗』こそ随一の腕利きよ」と、自身の抱える涼音を褒め称えたらしい。
そこへ、右大臣殿がすかさず参戦する。
「随一と言うのは言い過ぎでしょう。今上帝の抱える官人の陰陽師こそが随一なのだから」
今上帝の名を振りかざされれば、如何に左大臣といえども口を噤むしかない。それでもやはり、身内可愛さに口を閉じてはいられなかったらしい。
「それはさもありなん。なれども鞍馬天狗は少々変わった毛色でな。その麗しさに人も妖かしも惑わされるほどよ」などと、嘯いてしまう。
「それほどに言われるのであれば、一度見てみたいものだ」と、饗宴の話が出たと言う。
「何と……それは話を盛り過ぎでしょう」
宮中行事など分不相応だと、血の気が引いてしまう。
大臣は涼音の両肩を勢い込んで鷲掴み、揺さぶった。
「何を言うか。そこは、大船に乗って良い。それに、儂が目を剥くほどの美丈夫に仕立ててそなたを送り出す」
「それは言葉を少し誤ってはおいででは?それに院殿、私は見世物ではございません。さらに言えば、宮中の所作も分からぬ無骨者です」
「否、そうでもないぞ?そなたの所作は儂も目を惹く」
元はこれでも一国の姫。涼音の所作には気品や華やかさが確かに見受けられた。
「それにな……。そなた、近頃塞いで居ろうが?奥も心配しているぞ」
夜毎悪夢に悩まされ、流石の涼音も疲れた顔をしていたのだろう。
「奥方様が?」
大臣は目尻の皴を深めて涼音の眉間の皴を指先で突いた。諭すようなその面差しに、遠く離れた故郷の父が重なる。
大臣は、そんなことは……と、言おうとした口に、人差し指を立てた。
「陰陽師が嘘を付いてはならない。そうであろうが」
神の恩恵を受ける者は言葉に気を付けねばならない。
「はい……さようですね」
素直に頷けば、大臣は多くの者らの上に立つ左大臣の顔になる。
「そなたに頼めるな?」
「御意。『鞍馬小天狗』の名に懸けて」
涼音は畏まって、頭を垂れた。
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