赤い糸

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「今宵は噂に名高い『鞍馬天狗』が拝めるらしいな」 「左大臣お抱えの?それは、それは」  秋の夜がたけなわになる時分、足元を照らす石灯篭に明かりが入れられる。 月が主役の今宵は、あまり高い位置に灯は入らない。まるで(すすき)(かんざし)を挿した月を口説くかのように唄を詠み、殿方は雅を競い合っている。 「ふふふ。何でも驚くほどの美丈夫なのだとか?」 「それは、楽しみですわねぇ」 さざめき合い、色めく歓声は宴の盛況を表し、演出している者らの気を良くさせた。花の少ない時季とは言え、十二単に身を包んだ女御らの、色鮮やかな裾が御簾の下より垣間見え、宴に華を添えている。  儚く鳴く秋の虫の音は、管弦の音色を邪魔することなく、共演しながら外堀を埋めていた。  絵巻物に出てくるような雅な世界。  常ならば、夢見心地に陶酔するところだろう。 でも、今の涼音にそんな余裕などなく、舞台の袖口で息を吞んでいた。  どんな時も厚顔なほど、泰然と構えているクロネコの傍にいないことが、涼音に心細さを植え付けている。  思わず、ギュッと、扇を強く握り込んでしまう。 (しっかり務めないと……。大丈夫、いつも通り愉しめば良い) 涼音はクロネコ、クロネコ、クロネコと掌に三回唱えて、息と共に飲み込んだ。 「鞍馬殿?えらく静かだが、緊張しているのかな?」 そんな涼音に話し掛けたのは、五条大橋で縁を結んだ弓削と名乗った官人陰陽師。そして、その横には同じく川仁の姿があった。  二人は舞楽衣装の萌黄色の龍装束(かさねしょうぞく)を纏っている。右肩を脱ぎ、左は銀の帯、右を金の帯で締めている勇壮な出で立ちは、女人の顔を思わず火照らせるほどに麗しい。  涼音はこのうら若き陰陽師二人の前座を務めることになっていた。 「これは、弓削様、川仁様。いつぞやは……」 「あれは一緒で無いようだな」 涼音の挨拶を遮り、川仁が鋭い視線で辺りを確認する。 クロネコのいない事実を如実に指摘されて、一層に緊張が増してしまった。涼音は元々白い面差しを一層に白くさせた。 「鞍馬殿よりも、(すず)殿と、呼んでも?」 一方で、弓削はにこやかな笑みを見せる。 そう言えば、名を名乗った覚えは無かったように思う。 きっと左大臣にでも聞いたのだろうと、当たり障りのない弓削の笑みを真似て頷きで返した。 そして、今頃になって気付いた。 (笑みを見せているのに、この方はまるで笑っていないのね……) 涼音の眼には見るからに強面の川仁よりも、何故か弓削の方に気が置けたのだった。
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