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消えずに佇む鬼神の姿に、涼音は目を瞠った。
『未熟者め、幻か実かも定かでないのか?』
「夢ですから……それに、あなたも……らしくない」
『てっせん』を開いて、泣き顔を覆い隠しながら非難を口にする。完全に不意打ちだった為に、先程はつい本音を吐露してしまった。そして、一度外れた箍はまだ緩んだまま、締める術を知らない。
「ど……どうしたら良いのでしょうか?」
まるで弱く情けない、そして愚かな心情を露呈する。強くあらねばならないのに、心がしゃんとしてくれない。
「鬼神殿の所為です。あなたがお傍に在れば強い涼音で在れるのに……。私、今の己は嫌いです」
「大っ嫌いっ!!!」
子供のように八つ当たりをして、肩を震わせるほど昂った感情のままに叫んでしまった。
『……そう嫌ってくれるな』
困ったように、涼音の小さな頭を鷲掴む鬼神の手は、無骨な気性をそのまま伝えて来る。それでいて安心しきってしまえるほどに大きく、優しいものだった。
(まったく……本当にらしくないのでは?)
嘘のような温もりに、涙が溢れて止まらない。嗚咽を堪えるのに必死で、涼音は一言も発せられない。
(行かないで……)
告げる代わりに、鬼神の腰に纏わり付いてしまう。
ギョッと身体をこわばらせたその反応には気づいたが、こちらはもうそれどころでは無いのだ。これはもう顕現した責任だと、心して諦めてもらうよりない。
ほぅっと息を吐くや、涼音はそっと鬼神の顔を覗き込むように見上げた。
さぞや呆れ返っているか、眉間に皴を寄せているかと思えば違った。
「何故にその様な顔をされているのですか?」
酷くにやけた顔だと思った。何故か酷く嬉しそうなのだ。
『ふっ。ふっはははっ』
揚げ句は盛大に笑われてしまう。
『お前、俺に惚れておるのか?』
指摘されて涼音は目を瞬いた。
抱き付いていた手を緩め、暫し黙考する。
「……さぁ?どうでしょうか?そう指摘を受ければ腹が立つような……?」
顎に手を添え、首を傾げる。
『ふっ、ならば良い。涼音、俺とお前は共には居れぬ。分かろうな?』
そうだろうとは思っていた。
流れる時からして、何もかも違うのだから。
「あなたのお傍に在れば私の身は危ういのですか?」
『ああ。我はお前を喰らっているようなものだ』
神に魅入られた者は恐ろしく早生だという。
人でありながら神気に当てられ続け、その者もやがては神格化する。
やがては肉体がそれに耐えられずに死に至る。
「何だ……そんなことですか」
『そんなことだと?』
鬼神の蟀谷に青筋が立った。
「阿呆ですか?そんなことは今更では?」
怒りに目を剥く鬼の眼にも負けない目を向けて、涼音は啖呵を切った。
「あなたが拾って下さらねば疾うに尽きていた命運だった。私はあなたのものだっ!!!」
どうあっても独り去ってほしくないのだと、今度は押し倒さん勢いで鬼神の懐に飛び込んだ。涼音が男であれば、胸倉を掴みたかったところだろう。
「あなたの方こそ私に惚れたのでは?私の為を想って遠ざけたのですか?ならば、逆効果です。私はあなたと共にある方が強く在れる」
ぐらっ
「ひゃっ!!!」
涼音の重みなど、物ともしないであろう筈なのに、どうしたことか涼音の身体を抱え込んだまま、鬼神は後ろ手に倒れ込んでしまったのだ。
『……』
「……き、鬼神殿?」
一体どうしたのかと、問い質したいのに、鬼神は手を額に被せているので、その様子を窺えない。
『崇道だ。……誰も呼ばぬがな』
ぼそりと素っ気なく零す声音は、何処か不貞腐れているようでもあった。
「崇道……?」
『お前が俺のものだと言うなら、我もお前にやる』
崇道――早良親王の真名である。
涼音は目を限界まで見開き、そして破顔した。
「はい。確かに頂戴いたしました」
何処まで共に居られるかなど、どうせわからぬ詮無いことだ。ならば、何処までも共に今を在りたい。
涼音は確とある今を噛み締めていた。
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