桜の娘

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桜の娘

「御用、御用」    時は平安、六条京極の一角にある邸宅、通称『川原院』に、威勢のいい掛け声が秋晴れの風と共に通る。 『御用聞き』として家々を渡り歩いて奉公する心太が、今日も御用を聞きに邸を訪れた。 「ある、ある。心太、良い所へ来た。『秋の社日』に鞍馬殿をお連れしろ」    社日とは雑節の一つで、産土神(うぶすながみ)を祀る日を言う。秋分に近い戊日(つちのえのひ)秋社日(あきしゃにち)と言って、産土神社に五穀の収穫を感謝する為に参拝するのだ。この日ばかりは、見世物などの興行や市が立ち、大いに賑わう。 「心太、催事で忙しいだろうにすまないね。一人でも平気だと言うのに、奥方様の心配が過ぎるのだ」 (きざはし)を降りて来た清楚な狩衣姿の白き人に心太は目を瞠った。 ドキリと心の臓が早鐘を打つ。 心太に御用を言い付けた家扶(かふ)彦左(ひこざ)は、白いものが混じり始めた少し長い眉を上げた。 「鞍馬殿、奥方様の心配は最でございます。牛車を出しても良いと大臣(おとど)は申しておりましたぞ」 「そんな物々しい。私を深窓の姫君とお間違えでは?泣く子も黙る鞍馬の小天狗ですよ?」 呆れた様子で肩を竦ませたが、今度は直ぐに首を縮こませることになる。 「そんな華奢な姿(なり)で何を仰るかっ。野盗にでも物陰に攫われれば如何なさる!?」 彦左は(いわお)のような体躯をしている訳でもないのに、それを思わせるほど堅物なところがあった。 「そうですね……御仏の下に送らないように気を付けます」 斜め上の返答に、彦左はもはや頭を抱える他ない。 「送ってもらって結構」 何も分かっていないとばかりに嘆息しながら、薄い麻の(しゃ)の垂れた市女笠(いちめがさ)を被らせた。 「烏帽子ではないのですか?」 「小天狗殿の御姿は、あまり見せられない方がよろしいでしょうからな」 皮肉を口にして、「心太、くれぐれも頼んだぞ」と、疲れた目をして彦左は奥へと下がってしまった。  一方で、白百合の君といった風情の男装の麗人は、紗の奥で小首を傾げてその背を見送っている。 「す、(すず)さま。お久しぶりです。元気でしたか?」 その名の示す通り、清流のように涼やかな気配を纏うのは、『鞍馬の小天狗』と噂に名高い陰陽師である。 「はい、心太も何よりですね。兄様(あにさま)も息災ですか?」 「はい。すっかり元気になって、今では真面目に働いていますよ」  涼こと涼音(すずね)と心太の縁は、一月ほど前に遡る。  年の離れた心太の兄が、賭博好きが高じて怨霊に取り憑かれたことに始まった。  心太は兄を怨霊から救ってもらおうと、御用聞きとして馴染みの在った川原院の門を叩いた。左大臣が抱えるほどの陰陽師であればと、心太は藁にも縋る思いだったのだ。  とは言え、実際に兄を救えたのは今上帝の抱える官人の陰陽師がいてこそだったと、涼音から謝罪を受けたのだが、心太の涼音への信頼は揺るがない。それどころか、また会いたくて、川原院へ赴く時はいつも目の端でその姿を探していた。 「面倒を掛けますが、今日は案内をよろしくお願いしますね」 存外に柔らかい涼音の声にドギマギして、心太は落ち着かなくなる。 凛とした姿が紗に隠され、余計にか弱き女人だと勘違いしてしまうのだ。 (否、間違いなく女なのだけれど……) 「しばらく見ないうちに、少し背がのびましたね」 涼音は十四の心太が十八になる自身と同じほどに成りつつあることに、一抹の寂しさを覚える。 (そう遠くない内に、心太もあっさり私を追い抜いて行くのね)
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