三章 天狗攫い

39/54
前へ
/137ページ
次へ
義圭は虚ろな目で天狗の目を見つめた。すると、天狗は何かに気がついたような顔をした。 「liberi……? idem……」 天狗が義圭の首を締め付ける力が僅かに緩んだ。そして、迷路の壁に押し付けられた。 「ipes odor…… Et to vos?」 天狗は義圭に何かを問いかけているようだが、言葉が分からないので質問に答えることは出来ない。その代わりにこれをくらいやがれ。 義圭はポケットから水風船状になったコンドームを出すと、それを天狗の顔面に思い切り叩きつけた。 天狗はものの一瞬で全身水浸しとなる。それに動じる気配は無く、更に言葉を投げかけた。 「qui! qui! qui! docere!」 くっそ…… 何言ってるかわかんねぇ…… またもや目の前が白くなりかける義圭。壁に押し付けられ、照明もすぐ近くにあるせいで熱くて堪らない。 手を伸ばし、太陽のような激しい光と熱さを放つ照明の鳥籠を思わせる金具カバーを掴んだ。金具カバーはあまり熱くない。 義圭は無我夢中で自分が何をしているかも分からずに照明を天狗の顔に向かって振り抜いた。照明を繋いでいる壁に接続されたケーブルが ブチブチブチ と言った軽く鈍い音を放ちながら外れた。ケーブルが外れたことで照明も壁から外れたのである。 金具カバーが天狗の白目に直撃する。 「gyaaaaaaaaaaー!」 始めてのダメージだった。天狗は思わずに義圭の首を握っている手を緩めてしまう。義圭はストンと言った感じで床に落ちた。首を押さえながら這々の体で銀男の方へと向かった、それを捕まえようとする手を伸ばす天狗。 捕まってはならぬと義圭が走った瞬間、手に持っていた照明を水浸しとなった天狗の足元に落としてしまった。照明にコードは繋がったままである。 電気の通じた照明を水に濡れた生物に叩きつける、すると、生物はどうなるか…… 感電する。 天狗の全身に稲妻が走る。走る稲妻は天狗の体を焼き焦がしていく。 言葉に出来ない悲鳴を上げながらのたうち回り、皮膚が焼け焦げ出し全身から煙を放ち、激しい吐き気が襲い激しく嘔吐を繰り返す。 あまりに壮絶な光景に同情を覚えた義圭は手を差し伸べ天狗を助けようと繋がったままのコードに手を伸ばそうとした。それを見た銀男が全力で義圭の手を握り止めた。 「君も感電死するぞ!」 「死んじゃったら……」 「いいか! こいつは人に向かって平然とチェーンソー振り回すような奴だ! 君のやったことは正当防衛だ! 気にすることはない!」 「でも、殺しは殺しです……」 「それにあれは事故だ! 君だって殺意があって照明を落として感電させた訳じゃない! 君が気に病むことはない!」 「でも…… でも……」 駄目だ。いくら事故のようなものとは言え殺人は殺人。完全に精神が錯乱している。義圭が「殺した」と言う事実を消してやろうと銀男は考えた。こんな時に子供の心を守ってやれなくて何が心療内科医だ。義圭の為に一線を超える決意を固めた。 銀男は折れたシャベルを逆手で持ち、未だに電流が流れて苦しむ天狗に向かって振りかぶった。その瞬間、電流が流れてビクビクと動いていた天狗の動きが止まった。天狗はピクリとも動かなくなった…… 一線を超える決意をしたが、一歩遅かった。銀男は安堵したのか義圭の殺人の事実を消すことが出来なくて絶望しているのかよくわからない気持ちに打ちひしがれていた。 しかし、義圭にかけるべき言葉は用意していた。 「目の前で苦しむ人を助けようとした君の手を止めた私の責任だ。医者としての責務を私は放棄したんだ! だからこの人は私が殺した。気にするのはやめたまえ」 「銀男さん……」
/137ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加