三章 天狗攫い

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「見ろ! 天狗様がお怒りになられている! あの靄は天狗様の怒りの証! 生贄を出さねば天狗様はあの靄で村をお包みになる! じきに霧となり更に深く村をお冷やしになる! こんな霧に包まれていては天駆米は育たん!」と、響喜がバンガローの中にいる皆に向かって叫んだ。 「生贄捧げれば霧が消えるなんてバカバカしい!」 響喜は義圭がこう叫んだのを聞き、いきなり修羅の形相となった。 そして、義圭の頬を思い切り叩いた。パァンと言った本気の平手打ちの音がバンガロー内に響き渡る。ここに集まっている村人の中で女性は皆、目を背けた。 「天狗様に対する侮辱は許さん! 全く、近頃は天狗様を軽んじる者が多すぎる…… この者のようにな! なぁ、村長?」 土下座中の日野村長は響喜に頭を踏みつけ、更に唾を吐きつけた。日野村長も天狗様を軽んじる「何か」をしたことは明白だった。響喜は日野村長の「あやまち」について語り始めた。 「この男、娘可愛さに他所(よそ)に逃がそうとしていた。娘が生贄に選ばれたと知った途端、都会に逃がす工作なんぞをしおってからに…… 天狗様は全部お見通しなんだよ!」 「申し訳有りません! 申し訳有りません! 天狗様!」 日野村長は頭を踏みつけられる。地べたを舐めるような勢いでぐいぐいと煙草の火を踏んで消すかのように踏みつけられる。 桜貝はそれを見ることが出来ずに両手で顔を隠し、目を塞いだ。 「そうよ! あたしだって泣く泣く知夏を天狗様に差し出したのにあなただけ逃れようなんて許せないわ!」と、千冬。その表情は食堂で見た優しいオバチャンとは思えないぐらいの悪鬼修羅のものだった。 千冬も日野村長の頭を踏みつけにかかる。日野村長は地面に鼻を打ち付け鼻血を流していた。 「多田さん、やめてください!」 義圭は食堂での優しかった千冬の姿を思い出し、このような千冬の姿は見たくなく止めに入った。その刹那、千冬は衝撃の事実を叫んだ。 「大体、三年前だってそうよ! 志津香さんだって紗弥加ちゃんを東京の親戚の家に逃がそうとしたじゃない! そうしたら靄が発生して!」 「あの時も天狗様はお怒りでしたねぇ…… 今となっては懐かしい話です」 「まさか姉ちゃんも!」 「そうですよ。紗弥加さんも天狗様の生贄に選ばれていたんですよ? 生贄を捧げないと、天狗様がお怒りになって村を霧で包むのは分かっていたのに…… 逃がそうなんてするから…… 乱暴なことはしたくなかったのですがねぇ……」 「姉ちゃんに何をした!」 「義圭くんのお父さんが明日の朝にはお迎えにくると言うことでしたので、その日の夜に天狗攫いの儀式を前倒ししましたよ。運命を知った紗弥加さんは抵抗したので、殴って大人しくさせるぐらいはしましたよ。観念した彼女の体を清め装束に着替えさせるために裸にはさせてもらいましたよ…… ふふふ、染みや痣の一つも無い美しい乙女の肌でした。天狗様もさぞや喜んだことでしょう」 「このクソ野郎が!」 義圭は響喜に向かって叫び、殴りかかろうとした。しかし、自分と違って屈強なる兼一に拘束されているためにそれも叶わない。 「そう言えば…… 紗弥加さんを連れて行く時に一緒の布団で寝ていたのはあなたでしたね? 紗弥加さんを一発殴った後に言ってやったのですよ『そこにいる義圭くんと変わってもらおうか?』って。一応はあなたにも生贄の資格はありますからね。紗弥加さんは『よっちゃんに酷いことしないで!』って庇って、急に素直になったんですよ。弟を心から想う姉の姿と言うのは実に素晴らしいものです」 「殺してやる! 殺してやるぞ!」 「あなたも未だに紗弥加さんのことを想ってらっしゃるのですか。実に女々しい! ああ、女々しや! 夏の間しか会えない親戚の姉のことなぞ忘れていればいいものを…… そうそう、村の決まりを守らなかった志津香さんには制裁を加えましたよ?」 「何をした!」
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