三章 天狗攫い

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「何もしない。をしたんです」 義圭が村を去って以降、志津香は紗弥加を東京に預け逃がそうとした罰として村八分に遭っていたのである。 志津香は火事と葬式以外は村人の干渉を受けない地獄のような生活を三年間過ごしていた。それにも拘らず村を出ていかなかった理由は紗弥加を待つためである。志津香は最後まで紗弥加が帰ってくることを願い、孤独の中、必死に村の中を探し回る毎日であった。その果てに生命を散らしたのである。 「黙れ! 殺してやる!」 「やれやれ、村八分に則って葬式は盛大にしてあげたのに…… 感謝こそされ、恨まれる筋合いは微塵もありませんよ? この言われようとは…… 君は村を出たお母さんと同じでいけない子だ。親の顔が見てみたいよ」 響喜は袂から結束バンドを出した。 「兼一くん、これを彼の親指に」 「はい」 兼一は結束バンドを受け取り、義圭の両方の親指を固定した。親指がうっ血せん限界まで締め付けており、腕が開かずに手の自由が効かない。 「足はどうします? 『いつものように』アキレス腱でも切っておきますか? 清めの儀もまだですよね?」 村の男衆がこう言いながら枝切り用のナタで肩を叩きながら義圭の前に立った。響喜が首を横に振った。 「あなた方と違って、都会暮らしの青瓢箪です。腱など切らなくても結束バンドで十分でしょう。それに今回は霧が濃い…… 天狗様の怒りも急ぎで鎮めなくてはなりません。急ぎですので体を清める必要もありません。そのまま天狗の抜け穴に放り込みましょう」 兼一の母が大きな米袋を持ってきた。足を曲げれば大人一人分、余裕で入るぐらいのサイズである。 「今日はお清めも装束のお着替えもなしで?」 「ええ、そのままで結構ですよ」 兼一の母は米袋を振り上げるように振り中に空気を入れた。そして、兼一は義圭を立たせた。兼一の母は義圭の頭の上から米袋を被せようとしたその刹那、義圭は響喜に向かって叫んだ。 「おい! 答えろ!」 兼一の母は構わずに義圭に米袋を被せようとするが、響喜は手を出してそれを止めさせた。 「俺は採掘場に行った! あそこにいた天狗は何者だ!」 「おや、天狗様にお会いになったのですか? 実に幸運だ、前もって面識があるので『やさしく』してもらえるといいですね」 「あんなチェーンソーやドリル振り回す天狗がいるか! あいつ何者だよ!」 響喜は満面の笑みを見せ、義圭の頭をいいこいいこと撫でた。 そして、袖から出した手ぬぐいを猿轡にして、義圭に噛ませた。前は父親のように逞しさと優しさを感じた響喜の手だったが、今となってはナメクジや蛇などと言った気持ち悪いものが頭の上を這っているようにしか感じられなくなっていた。 「天狗様。この村をお守護(まも)り下さっている素晴らしい神様です。天におわす、あなた方『天狗者』の父です」 素晴らしい神様なら、霧を発生させたり生贄を要求するんじゃないよ! 義圭は激しく響喜を睨みつけているところを米袋の中に入れられ、何者かの肩(おそらくは男衆の誰かだろうか)に乗せられた。 視界を塞がれ、激しい恐怖に押し潰された義圭はいきなり大人しくなった。
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