四章 天狗の抜け穴

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目標を外した…… 獲物を外した悔しさからか、天狗は癇癪を起こした子供のように地団駄を踏みだした。 そして、天狗は川沿いへと向かう二人を追いにかかった。二人は息を切らしていた。 天狗は破壊衝動がそのまま生き物になったように、自分の半径数メートルに入ったものをチェーンソーを振り回し切り砕いていく。 走り続けたことで二人の足は痛くなり縺れてきた、義圭は先程まで縛られていて本調子ではない足首、銀男は川を渡ったせいで靴も靴下も水が染みきっている。二人とも足はベストな状態ではない。 二人の目に川が見えた。銀男は「脱出路」のある小道に目を向け、指を差した。 「川の中に脇道がある! 川は浅いから大丈夫! そのまま川を突っ切れ!」 銀男は川に足を踏み入れた。義圭もそれに追従しようとしたところで、足が縺れて転んでしまった。 「藤衛くん!」 銀男は一旦引き返し、義圭に向かって手を伸ばした。義圭も手を伸ばすが、僅かに届かない。 天狗は転んだ義圭に向けて片手でチェーンソーを振りかぶった。 もう駄目だ! 義圭が死を覚悟した瞬間、天狗に襟首を掴まれた。 その瞬間、絹を割くような音が辺りに響いた。そして、上に一枚羽織っていたピンクのチェックシャツがするりと脱げた。森を彷徨い、瓦礫の雪崩に飲み込まれてピンクのチェックシャツはすっかりボロ布のようになっていたことで袖口が解れ、切れた故に起こった偶然である。脱がされたピンクのチェックシャツは天狗の左手にぶら下がっていた。そのだらんとぶら下がっているピンクのチェックシャツは天狗が持っていたチェーンソーの刃に巻き込まれた。 石をも切り砕き裂く破砕用のチェーンソーではあるが、これまでの酷使で駆動能力が落ちていた。普段であれば衣類を巻き込んだ程度でチェーンソーの駆動は止まるはずがない。 だが、酷使で駆動能力が落ちていたチェーンソーであれば話は別である。 ガタの来ていた駆動部にピンクのチェックシャツが巻き込み、チェーンソーは止まった。偶然がいくつも重なって生まれた奇跡である。 「お姉ちゃんが助けてくれた……」 ピンクのチェックシャツであるが、三年前に義圭が迷子になった際に紗弥加が着せてくれたものである。 紗弥加は義圭の手を握った。それは死体のように冷たかった。紗弥加はこれはいけないと義圭の手を一生懸命に擦った。懸命の手当で義圭の手が温まったところで、紗弥加は自分が上に羽織っていたピンク色のチェックシャツを義圭に羽織わせた。義圭はその瞬間に嫌そうな顔をする。 「嫌だよぉ…… こんな女物のシャツなんか」 紗弥加はこのやろうと言いたげに苦笑いをした。 「体冷えてるじゃない。こんなんでも無いよりマシでしょ。お守りと思って着てなさい」 本当にお守りだった。寒さからどころか無慈悲な刃からも守ってくれた。だが、この奇跡を感謝している暇はない。 天狗はそれに激昂し駆動が止まったチェーンソーを川に投げ捨てた。そして床を這う義圭に向かって拳を振りかぶる。 「spurius! mori!」 天狗は義圭の胸ぐらを掴んだ。チェーンソーでズタズタになって死ぬことから死ぬまで殴られることに死因が変わっただけか。結局死ぬのか。 義圭は「人間、終わりは呆気ないもんだな」と、諦めに入った。 その瞬間、銀男はポケットから拳銃を出し、グリップで天狗の側頭部に殴打を繰り出した。木製のグリップの打撃に、グリップの底面に付けられたカラビナのような金具が天狗のこめかみを削りにかかる。天狗はこめかみを押さえてその場にのたうち回った。 「弾は無くても役に立ちますね」
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