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義圭は銀男と共に川を渡り行く。少しでも気を抜けば、足を取られ川に流されてしまう程に水流は強い。
二人は手を取り合い、一歩一歩慎重に川を進んで行く。出口があると言う川沿いの小道に入ったところで、義圭は信じられない音を聞いた。銃声である。
もうこの銃は撃ち切ったはず、村の猟友会が追手に来たのだろうか。
義圭が不安に思い踵を返すと、更に信じられない光景が広がっていた。
肩を押さえて苦しむ天狗の後ろに猟銃を構える人影があった。天狗の後ろで猟銃を構える者の姿を見て義圭は我が目を疑ってしまう。
「ステラさん…… どうして……」
猟銃を構えるのはステラだった。
ステラは猟銃に弾丸を入れた後、その場に膝を突き、膝の上に苦しむ天狗を乗せた。洞穴より入る朝日に照らされるそれはミケランジェロの彫刻、ピエタ像を思わせる程に美しいものであった。
「アイテール…… アイテール…… ごめんねぇ…… ごめんねぇ……」
ステラは聖母のように慈悲深く微笑みかけながら天狗の頭を優しく撫でた。天狗はステラの頬に手を伸ばし求めるように撫で返した。
「mater mater…… mater mater…… mater mater……」
「痛かったねぇ…… 怖かったねぇ…… あいつら酷いことするねぇ……」
「timeo…… timeo……」
「怖かったんだねぇ…… 勝手におうち入ってくるなんて酷いねぇ……」
「mater…… axilium……」
「分かったよぉ、あんたに酷いことした奴みぃんなやっつけてあげるからねぇ」
ステラは天狗を優しく地面に置いて立ち上がった。猟銃の銃口を二人に向け、構える。聖母のような優しい表情はどこかに消え失せ、今から二人を殺さんとする鬼子母神たる形相へとその表情を変えた。
銀男はその顔を見て「やばい」と察し、早く逃げなければと考えた。
「構ってる暇はありません、さっさと逃げますよ」
二人は水の通る小道を走った。水に足を取られ、早く走ることは出来ない。
すると、上から差し込む光が見えてきた。その光の中よりロープが垂れ下がっていた。銀男がこの地下に入るために「ある場所」から垂らしたロープである。
「藤衛くん、登り棒とかは得意でしたか?」
「ちょっと、苦手かも」
「私が先に登って引き上げます、可能なら私の後についてきて下さい」
銀男はロープを登り始めた。四十代後半の年齢の動きとは思えないぐらいにスルスルとロープを登っていく。義圭が四分の一もロープを登りきらないうちに一番上まで登りきってしまった。銀男は結んでいたロープを引いて行く、義圭はロープが引かれて行くのを感じた。
これでやっと地獄から出ることが出来る。義圭が安堵した瞬間、足を掴まれる感覚を覚えた。そこにいたのは、義圭の足を握り、山姥のような表情で歯をむき出しにして笑うステラだった。
「よくもアイテールをいじめたねェ!」
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