終章 緑成す秋

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「canis aether liberi ですか」 「え? 何か言いました?」 「いや、なんでもないよ。君のご両親は今回の件でどうだい?」 「父は当初こそ取り乱してました。今は落ち着いてます。母は…… 僕が退院してから、何かとぼーっとしてる事が増えました。少し不眠症が辛いとは言ってます。銀男さん、一度診てもらっていいですか?」 やはりそういう事か。医者としてはパンドラの匣を開けるようなことはしたくないのだが…… 銀男はどうするべきかを考えた。 「分かった。私が一度診よう。誠心誠意対応させてもらうよ」 「ありがとうございます!」 「精神的なことと言うのは、家族の優しさが一番の薬だってことを忘れちゃいけない。我々はその手助けをするだけなんだ。君に出来ることは『お父さんお母さん』に優しくしてあげることだ。大事にしてあげるんだよ? 君はこれまでの15年で、こんなに逞しく勇気のある少年に育てられたんだ。その一緒に過ごした15年は嘘偽りがないと言うことを良く覚えておくんだよ」 何か知らないが褒められてしまった。義圭は照れくさそうに頭を無意味にぼりぼりと掻いた。 「そんな、勇気のあるだなんて」 「いやいや、君がいなかったら私は途中で天狗に殺されていたよ。心から尊敬してるし、感謝もしているよ」 銀男は90度に深々と頭を下げた。義圭を心から尊敬し、感謝しているからこその最敬礼である。 「いや、あの時はがむしゃらだっただけで」 「君がどう思おうと、私は君を心から尊敬し、感謝している。とだけは覚えててほしいな」 「僕の方こそ…… 何度も助けてもらって」 このままお互いを称え合うのも照れくさい。銀男は話題を変えた。 「共同葬儀で兼一くんと桜貝ちゃんに会ったよ」 それを聞いた瞬間に義圭は険しい顔を見せた。手紙を貰ったと言うだけで蟠りが解けたと思ったのは早計だったかと銀男は自分を省みた。 「君がいなかったもんだから、伝言を頼まれたよ。二人共、君にすごく謝りたがっていたよ」 「知ってます。届いた手紙にも『ごめんなさい』とか『すまない』がゲシュタルト崩壊起こすぐらいに書いてありました。でも、会いたくはないです……」 「ここの村人達、天狗攫いはこの村の霧を晴らすための儀式だと思っていたよ。だが、内心ではおかしいと思っていた。血と肉と骨を分け与え、生まれた可愛い我が子を生贄に差し出すことを良しとする親なんかいやしない。当たり前だ。いるならそれは単なる腐れ外道だ。だけど、この村の権力者たる宮司一族はそれでも強引に差し出させる悪魔のような手段を考えたんだ」 「村八分…… ですか?」 「村の決まりに逆らえば、火事と葬式以外は関わらぬことで孤立に追い込む忌むべき因習だよ。天狗攫いの実態は『生贄』『宮司一族の性欲発散』の二つの意味があったわけだ。それに従わなければ村八分にすると脅してね。村八分になれば、この村で生きていくことは難しくなる」 「脅し、じゃないですか」 「村人も、二重思考(ダブルシンク)だったわけだよ。子供を生贄に差し出すのはおかしい。だが、差し出さなければ自分が村八分に遭う。村八分に遭いたくからと我が身可愛さに子供を生贄に差し出すのもおかしい。差し出せと言われた家は、この二つがせめぎ合い悩んだだろうね。村八分ってのは見せしめの意味もあったかもしれない」 「昔は七つまでは神の子とかって納得させる理由があったんですけどね」 「お、よく知ってるじゃないか。こういった迷信も科学万能の時代になって通用も納得も出来なくなってしまった。この科学万能の時代でも、二重思考(ダブルシンク)に陥ると正常な考えが出来なくなるんだよ。兼一くんに桜貝ちゃんも村長も『桜貝を生贄に出すのはおかしい』って考えと『義圭くんを生贄に出すのはおかしい』って考えでせめぎ合っていたと思うんだ…… で、おかしいと分かっていても、前者、つまり桜貝ちゃんを守る選択肢を細かく考えずに選んでしまったんだ。私は見ていないから知らないが、君を生贄に差し出す直前に謝ってたと思うよ? 本当に君のことを何も思わずに、ただの我が身可愛さや、彼女可愛さや、娘可愛さがあったとしたら君に謝りもしなかったはずだよ。二重思考(ダブルシンク)というのはそこが怖いんだよ」 義圭は険しい顔で銀男を睨みつけた。義圭は投げやりな口調で言い放つ。 「だから、許してやれと?」 「それは君の自由だ。擁護するわけではないが…… 彼らは私のことを大人に言わなかったよ? 言っていたら私も捕まって、今頃お陀仏だったはずだ。本当は悪い子ではないと思うよ」 ちなみに、義圭のスマートフォンの待ち受け画面は三人で最後に撮ったスリーショットである。夏にここで皆で遊んだ時の思い出は粉々に崩れ去った、でも、消せもしないし、嘘ではない。それを考えると義圭は二人を恨みきれない…… 
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