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その日の夜、義圭は客間ですーすーと寝息を立てながら眠っていた。その客間には天狗の面が掛けられているのだが、義圭はじっと見られている感じがして落ち着かないので裏返しにして部屋の隅のテーブルの下に放置済である。
そこから更に時間の進んだ丑三つ時、客間の障子が すぅーっ と動く音が義圭の耳に入ってきた。その音に気づいた義圭は目を覚まし、目を開けて寝返りを打った。
「ごめん、起こしちゃった?」
客間に入ってきたのは紗弥加だった。その姿を見て、義圭は安堵する。
「何だよぉ……? こんな夜中に?」
「修学旅行以外でこの村から出るの始めてだから…… 緊張しちゃって……」
「お姉ちゃんも情けないところあるんだね」
「言ったな? こいつめ」
紗弥加は義圭の布団の中に入り込み、脇の下をくすぐった。義圭はなんとも言えない叫び声を上げようとしたが、口を塞がれてしまった。
「しー。こんなのバレたら怒られるよ」
二人共、いい年齢である。これで「間違い」が起こってはならぬと、二人が同じ部屋で寝ることは、ここ数年間禁じられていた。
「懐かしいね。昔はよっちゃんを抱き枕代わりにして寝てたっけ」
義圭はもぞもぞとしながら紗弥加から距離をとりにかかる。そして、冷たくも照れ隠しながら言った。
「僕、おもちゃじゃないよ?」
布団の中に広がる紗弥加のシャンプーの薫りに義圭の心臓の鼓動は早くなる。心臓が口の中から飛び出し、耳の真横で鼓動を叩くかのように激しく動く。
そんな義圭にお構い無しに。紗弥加はじりじりと距離を詰めてくる。
義圭は寝返りを打ちくるりと回り紗弥加に背を向けた。
すると、紗弥加は呟いた。
「15年間、この村から出たこと無いんだよ…… あたし。よっちゃんだって心の中じゃ。田舎の山猿みたいな感じで馬鹿にしてるでしょ?」
「いいや、そんなこと思ったこともないよ」
紗弥加は紗弥加。義圭の紗弥加に対する認識はそれだけである。むしろ、いとこでありながら、結婚したいぐらいに好意を持っている。
「実はね、お母さんに急に言われたんだ…… 東京の友美恵おばちゃんのトコに行けって」
「急に?」
「そう、急に。ずっとこの村から出たことないのに急によ? 確かに都会には憧れていたけど、実際に行くことになるなんて夢にも思わなかった」
紗弥加の悲しそうな口調に義圭は「何か」を感じた。
「この村、好きだったの?」
「なぁんにも無い村だけど、嫌いではなかったな。出てくなんてことは考えたこともなかったし、ずっとこの村に骨埋めるんだろうなって思ってた。旦那さんも、米農家か林業屋さんの息子さんとお見合いして、その人の子供産んで、お母さん見送って、そのまま老けてくんだろうなって思ってた」
「都会にはいっぱいいい男いるよ」
「あ、ちょっとそれ楽しみかも」
それを聞いた瞬間に義圭はイヤな感情を覚えた。胸の奥がもやもやするような感情、親友が別の友達と遊んでいて自分には見せないような笑顔を見せて楽しそうにしているのを見た時と近いあのイヤな感情である。
それが「嫉妬」と言うことに義圭が気づくにはまだまだ幼なすぎた。
「あたし、男の人ってあまり知らないんだよね。お父さんもすぐに亡くなっちゃったし」
「仁志(ひとし)伯父さんだっけ? この村でお巡りさんやってたんだっけ?」
「そう。あたしは写真でしか知らないんだけどね」
「僕も話でしか知らないよ」
「事件もなぁんにも無い平和な村に一人の警察官だったらしいの。ところが、天狗攫いに付いて本気で調べてる途中でお父さんも天狗攫いに遭っちゃって…… 鉄砲持ったままいくなっちゃったから、都会の警察官がこの家に毎日取り調べに来てたみたい」
「……」
義圭は何を言えばいいのか分からず、黙り込んだ。話でしか知らない伯父であるために何の愛着もない。それ故に言うべき言葉が見つからない。
紗弥加のシャンプーの薫り芳しい布団の中、未だに義圭の緊張は冷めやらない。その緊張に拍車をかけるように。紗弥加が義圭を引き寄せそのまま腕を回して抱きしめた。
「やっぱりあったかーい」
紗弥加の柔らかく温かい体が密着し、義圭の緊張は最高潮に達した。
「な、何? クーラーの温度下げすぎた? 25度だよ今」
義圭は枕元に置かれたクーラーのリモコンに手を伸ばそうとするが、紗弥加はガッチリと義圭を拘束しているために手を動かすこともかなわない。
「朝までそのまんまでいようよ」
「嫌だよ、暑苦しい」
義圭の本音はそのままでいたいと思ったが照れ隠しで否定した。芋虫が這うように脱出を試みるが、心と体が一致しないのか、脱出には至らない。
やがて、朝の迷子から始まり、遊び疲れた体は眠りを求めてきた。双眸が鉛のように重くなり、義圭の意識が途切れ、微睡みに入り、そのまま深い眠りに就いた。
それを確認した紗弥加は優しく義圭の頭を撫でた。
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