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朝食を終えた後、義圭は遊ぶ約束をしていた友人の家に向かった。
今朝、あんなことがあったせいか志津香も紗弥加も僅かとは言え、一人にするのは不安に思っていたが、ご近所の家と言うことでとやかく言うこともなく義圭を送り出すのだった。
義圭は今朝の騒動を友人に話していた。今日はその友人宅にて、朝の涼しい内に今日の宿題を片付けた後に遊ぶ予定であった。
「そりゃあ、お前が悪いわ」
友人は一部始終を聞いて笑い飛ばした。その友人、阿部兼一(あべ けんいち)は義圭がこの村で友達になった同い年の腕白少年である。
都会っ子の義圭と違い、典型的なステレオタイプの田舎少年。日に焼けて全身褐色の肌、脇から乳首が見えるようなランニングシャツ、機能過多とも言えるぐらいにポケットの多いハーフパンツのスタイルである。
彼は義圭が幼少期の夏休みに雨翔村に来た時からの友人であり、夏休みだけの親友のポジションに収まっていた。
「夜に塗って朝に行けってケンちゃんが言うから」
「なんだよー、俺のせいにすんなよー」
兼一は麦茶をグイと呷った。そして、軽いゲップを吐きながら言った。
「朝ったって、こんな朝早くに行く馬鹿はいねぇよ。朝の10時ぐらいでいいのに、そうしたら俺達も付き合ってやったのにさぁ?」
「そうよそうよ、虫を独り占めにしようとしたの?」
義圭と兼一に混じって一人の少女がいた。その少女、日野桜貝(ひの さくらがい)は兼一の幼馴染の少女である。義圭にとっては兼一と共に親友のポジションにあたる。
桜貝は田舎少女、なのだが…… 都会に激しく憧れている。服装は村の商店に無理を言って手に入れた、都会っ子の小学生が好んで着るようなお洒落ファッション。髪型も村の商店で2週間遅れで入荷されるファッション雑誌を参考にしたフィッシュボーンと呼ばれる三編み、外見だけなら都会っ子であった。そう、外見だけなら。
名前の「桜貝」だが、村長である父親が新婚旅行で行った熱海の海岸に落ちていた桜貝の美しさが忘れられずに、その後生まれた娘にも桜貝のような可憐な子になって欲しいと思い名付けたものである。
桜貝本人もその名前が「変わっている」自覚があるのか、義圭は勿論のこと、兼一などの学校の友人達には「さくら」と呼ばせている。
「いや、別にそう言うわけじゃ」
「何よ、抜け駆けじゃない」
「そうだぞ。で、どうだった? いっぱいとれた?」と、兼一が割り込んできた。
「うん」
義圭が採ってきた大量の虫たちは、今、机の上に置かれている大きな虫籠の中でぞろぞろと蠢いていた。それを見た義圭はカブトムシやクワガタムシも大量にぞろぞろとしていると気持ちが悪いと思い、一番大きなものだけ残して後で山に返そうと思っていた。
「それにしても、山って夏なのにあんなに寒いんだな…… わけわかんねー霧が冷たいし」
それを聞いた瞬間、兼一と桜貝の二人は首を傾げた。
「何言ってるの? 山奥の朝が寒いことなんて当たり前じゃない?」
「だよなぁ? うちら村のモンでも夏の朝に山入る時は長袖着て入るぜ?」
山の人間である二人にとっては夏の山でも早朝は寒いと言うことは、最早常識である。
「それに、子供だけで山に入っちゃなんねぇって言われてるしなぁ」
「んだ。子供だけで山に入ると天狗様に連れて行かれっちまう言われてるでな」
義圭は二人の言うそれを聞いて「ははは」と嘲笑った。
「何? お前ら天狗なんて信じてるの? サンタと同じであんなのいるわけないじゃん」
兼一は慌てて義圭の口を塞いだ。桜貝も青ざめたような顔をしている。
二人は隣に襖一枚を挟んで、何やら作業をしている兼一の母親の様子を窺っているようだった。
兼一の母親が襖を開ける気配は無い。どうやら義圭の「暴言」を聞こえていないようで二人は安堵した。そして、兼一は囁くような小声で述べた。
「ええか? お前みたいな余所者は知らねぇけど、この村じゃあ天狗様は神様なんだ。大人はみんな本気で信じてる」
桜貝も小声で述べた。
「そうよ、呼び捨てにしたり、いるわけがないって馬鹿にしたら本気で怒られるんだからね? あたし、『天狗様なんかいない』って言ったら、お父さんに拳骨くらった上に天狗様に謝りに行ったんだからね」
この村では天狗は妖怪の類ではなく神様として崇められているのか。義圭はそう思っておくことにした。そして、欄間の上に鼻を屹立させて鎮座する天狗の面をちらりと見た。
ちなみにこの天狗の面、この雨翔村の家屋には必ず置かれている。
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