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民俗資料館の受付は新聞を読み耽っていた、目の前を義圭が通ったにもかかわらずに気がつくことはない。
この村の民俗資料などに興味がなかった義圭はそのまま図書館に行き、席を確保した。兼一は民俗資料館は老人の憩いの場になっているとは言っていたが、30席中、3席しか埋まっていない閑散とした状態であった。
義圭はその三人からなるべく離れた席に勉強道具を広げた。耳を澄ましてもチェーンソーの音は聞こえない。静かだ…… 義圭は勉強を始めることにした。
義圭が勉強を始めて数時間後、肩をとんとんと叩かれた。振り向くと、そこにいたのは見慣れない派手めの女性であった。義圭はひと目でこの村の者ではないことを見抜いた。
「ねぇ、君? 村の子?」
「生まれはこの村ですけど…… 村の者じゃないです」
「よかったぁ、やっと話せる子に会えた」
女性はホッと胸を撫で下ろし、義圭の対面の席に座った。
「君さぁ、この村に明るかったりする? そう、例えばこの村にはどこに何があるとか」
「はぁ…… 毎年夏はこの村で過ごしていたんで、ある程度は」
「良かった! 助かるわ!」
さっきから自分のことを名乗りもせずにぺらぺらと…… 今どきの若い女はこんな感じなのか。義圭は軽く呆れた。
「そうそう、あたしこういう者なんだけど」
女性は自身の名刺を机の上を滑らせるように弾き、義圭に渡した。中学生故に名刺の扱いを知らない義圭でさえも「この扱いは無いわ」と呆れた。
義圭は名刺を受け取り、女性の身の上の確認を行った。
「昆虫学者さん…… ですか」
「そ、羽振安里(はぶり あんり)、大学で昆虫の研究しているの」
「女性で昆虫学者なんですか。珍しいですね」
義圭は古文で学んだ堤中納言物語の「虫愛ずる姫君」が現実にいるもんだなと、珍しいものを見るような目で安里の顔を見つめた。
「でしょ? 幼稚園の頃なんか毛虫を手の甲に乗せて刺されて病院に行ったことあるんだから。あの時は右手がパンパンに膨れて大変だったのよ」
「ははは」と、義圭は苦笑いで相槌を打っておいた。正直なところ、興味を持てる話題ではない。
「この村で、虫がいっぱい集まるところとか知ってたりしない? 特にカブトムシとか」
「この辺りの木だったら腐るほどいると思いますけど…… それに林業が盛んなので木材工場ならいくらでもありますよね? おが屑の中にワシャワシャ蠢いてると思うんですけど」
義圭はこの村で何度もかぶと狩りをしているからこそ分かることだった。
下手に山の木を探すよりは、村の木材工場のおが屑の中を探した方が効率良くかぶと狩りが出来ることは、この村の子供たち、いや村の誰でも最早常識である。
それ以上を求めるなら、やはり山奥への突入になる。
「教えてくれて助かったわ~」
「村の人だったら誰でも知ってることですよ? 誰も教えてくれなかったんですか?」
「そうよ。誰も教えてくれないのよぉ? 酷いと思わない? みんな、あたしみたいな余所者には冷たいのよ。大人は勿論だけど、子供まで声かけただけで逃げてくわ」
この村、こんなに排他性強かったかな? 村の出身者を母に持ち、一応はこの村の出身であるせいか、優しくされている義圭には分からないことであった。
「ところで、どうしてこの村に昆虫採集に?」
「オオクワガタ」
「オオクワ…… ですか」
「そう、この村でオオクワガタ捕まえたってブログを見つけてね」
安里はタブレットを出し、義圭にスクリーンショットで保存したオオクワガタ捕獲ブログを見せた。
そのブログには「雨翔村にて大量のオオクワガタを手に入れて良い金になった」と記載されていた。
「こんなに多くのオオクワガタがいるんだったら、あたしの研究も捗るじゃない? だから遠路はるばる、こんな超ド田舎の村に来たってわけ」
本当に研究に使うのだろうか? 数日後にはオオクワガタのブリーダーに売るんじゃないの? 安里の派手な外見と佇まいから来る義圭の完全な偏見である。
「分かった。木材工場ね」
安里の目はキラキラと輝いていた。その目は正月に父方の親戚宅でお年玉を貰うために、叔父や祖父に媚びを売るための自分の目つきと同じものであることに義圭は気がついた。
こいつ、売る気だ。
義圭は表情にこそ出さなかったものの、安里を白けた目で見つめてしまった。
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