三章 天狗攫い

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「よっちゃん! 私だ! 日野だ!」 電話の相手は日野村長だった。これまでも日野村長とは何度も話をしたことがあるが、こんなに血相を変えた激しい口調を聞いたのは初めてのことである。 「どうしたんですか」 「あの、うちの娘…… 桜貝は来とらんかね?」 来るわけがない。義圭は昨日の夜から銀男以外の人間と接していない。 そもそも年頃の娘さん一人が同世代の男子一人しかいない家に訪れていれば大問題である。 「来て、ませんけど」 「そうか……」 日野村長の激しい口調が力抜けた口調になっていく。 「さくら、どうしたんですか?」 「今朝からずっといないんだ……」 義圭はそれを聞いた瞬間に全身に寒気が走った。まさかこんなことはないだろうとして、一縷の望みをかけた質問を投げかけた。 「あの、ケンちゃんのところとかは」 「聞いたに決まってるじゃないか。兼一くん、いや、友達全員に聞いてみても来ていないそうだ。君のところが最後だ」 「わかりました。分かったらお知らせします」 「済まない…… 頼んだよ……」 義圭は受話器を置いた。黒電話のチン鳴りが、お輪の音のように(むな)しく響く。 「どうしたのかね?」 「友達が…… いなくなったんです」 「夏休みだし家出とかは…… って、この村の狭さを考えるとそれもないか」 「ええ…… 実は僕も三年前に同じことを経験してるんです」 「天狗攫いかね」 義圭は真剣な面持ちをしながら、銀男の問いに対してコクリと頷いた その瞬間、玄関の引き戸が思い切り開けられる音が聞こえてきた。 「よっちゃん! いるか!?」 玄関で思い切り叫んだのは兼一だった。この霧に包まれ寒いにも拘らず必死に走ってきたのか、全身は汗諾々(あせだくだく)で濡れきっていた。両膝を押さえ、中腰の体勢で肩で息をしていた。 「ケンちゃん……」 義圭は昨日のこともあり、兼一と顔を合わせるのは複雑な気持ちだったが、今はそれどころではない。兼一がこんな必死に走ってきてる時点で用件は決まっている。 兼一は疲れ切った体を奮い起こした。 「さくら、見てないか?」 義圭は首を横に振った。その瞬間、兼一は「ああ、やっぱり」と言った感じの表情を見せながら項垂れた。 「ちきしょう、どうしてこんなことに」 「よくこの霧の中うちに来たな?」 「はぁ? 霧だったら薄くなってるぜ? 薄くなって動けるようになったから村の大人皆で捜索隊組んだんだよ」 日野村長は義圭に電話をした時点で捜索隊を組ませていた。奥さんも天狗攫いに遭った経験があり、いなくなった時点で「分かっていた」のだろう。 それはともかくとして霧が薄くなったとはどういうことだろうか、義圭は兼一を押しのけて外の様子を見た。 朝のうちは濃かった霧も少しではあるが薄くなり、靄と呼べるぐらいになっていた。靄の中ならば、視界も効くために兼一も走ってこられたと言うわけである。 玄関前の靄を見つめる義圭に向かって兼一が肩を叩いた。
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