三章 天狗攫い

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二人が半分ほどラムネを飲んだ辺りで、兼一がふと言い出した。 「実はさぁ、お前に言っとかなきゃいけないことがあるんだ」 「ん? どうしたの?」 「その前に聞いときたいんだけど、村長…… 日野のおじさんから電話あっただろ?」 「ああ、ケンちゃんが来るちょい前にあったよ」 「なにか言ってたか? 例えば、どこでいついなくなったかとか」 「いんや、ただ朝いなくなったってことしか」 「そうか、おじさん知らないってことか。どこでいなくなったか」 義圭はラムネをぐいと呷り、中身を後四分の一程にまで減らした。 「朝起きていなくなったんだから、桜貝の家に決まってるだろ?」と義圭が言うと同時に、兼一は中身が半分ほど残ったラムネをテーブルの上に叩きつけるように置いた。 「実は、俺の家でいなくなったんだ」 「え?」 義圭はラムネを飲む手を止めながら首を傾げた。今、義圭が座っているマットレス、二人はここで体を重ねている関係だ。そう考えると桜貝が兼一の家でいなくなったと言う事実が証明していることは一つだった。 「夜中、泊まりに来たってことか?」 「ああ、これまでも何度か」 いい歳した思春期の男女ならば珍しくもない。義圭は一気にラムネを飲み干した。それから、空になった瓶ラムネをゴミ箱にポイと投げ捨てた。 プラスチックの簡易なゴミ箱に捨てられた瓶ラムネは激しい音を放ちながらその中を転がった。 一晩楽しんだその日の朝にいなくなったと言う訳か。朝起きて、隣でこの丸太みたいな腕枕で寝ているはずの桜貝がいなくて驚いたと言ったところか。 日野村長からすれば、昨晩から既にいなくなっていたのに今朝いなくなったように感じるのも仕方ないだろう。義圭はぽりぽりと困ったような顔をしながら額を引っ掻いた。 「おじさんには…… 言えるわけないよね」 「俺ら、付き合ってること秘密にしてたからな。バレたらウチの家が村八分になってもおかしくないしな」 「そんな、村八分って……」 松本清張の小説のような話がこの令和の今にあるわけがない…… 義圭は苦笑いを浮かべてしまった。 「お前、夏の間しか来ねぇから知らねぇと思うけど…… やってるぜ?」 いつの時代だよ…… 義圭は壁にかかっているカレンダーを見た。令和の8月のカレンダーである。いつの間にか昭和、いや、明治や大正にまでタイムスリップしてしまったのだろうか? と不安になったが、カレンダーを見て確かに今は令和の夏休みだと確信を得るのであった。 「一体何をやったら村八分なんて」 「くだらないぜ? 田舎暮らしに憧れた若者夫婦だ。そいつらが地域の掃除に参加しなかったんだよ。もう翌日には村八分よ。周りはいないもの扱い、誰も何も売ってくれない、その夫婦に届いた郵便も全処分。そいつら、耐えきれなくなって出て行ったけどな」 義圭に対しては極めて優しい村の人達。彼らがそんな事をするとは信じられない。兼一は更に付け加えた。 「大人がこんなことしてるくせに学校…… 複式学級のころから世話になってるこの村出身の先生は、子供たちに対して『いじめはやめましょう』『誰とでも仲良くしましょう』って子供たちに教えてるんだぜ? おかしいだろ? 昔から村にいるモンだって『決まり』を破れば即村八分だ…… 誰だろうと関係ねぇ」 全く以て訳がわからない。義圭は頭を抱えこんだ。 「大人達はこれがおかしいって思ってない。村の決まりだから仕方ないって…… 子供たちはおかしいって分かってる、けど、大人に世話になって生きてるから大っぴらに反対することも出来ない」 「そして、その子供たちも大人になって、これをおかしいと思わなくなると」 「そうなんだよ。だから俺、この村出てこうと思ってるんだ。見て見ぬフリするのがあんなに辛いとは思わなかったんだ……」 「来年から隣村の高校に行くって言ってたよね?」 「高校卒業して、そのまま別の場所で仕事決める。親父やお袋と縁は切るつもりはねぇ、ちゃんと仕送りだってする。ただ、この村に居を構えるつもりはねえ」 「農家の跡継ぎは?」 「お袋まだ若いし、二人目作るでしょ」 それ、難しいと思うぞ? いきなり一人っ子の長男が農家継がないなんて親が知ったらどんな反応になるかを分かっていない。義圭は兼一のこれからを憂うのであった。
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