三章 天狗攫い

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義圭は右側ドアガラスからハンドルを眺めた。エンジンキーは付けられたまま。エンジンキーには昆虫樹脂標本のキーホルダーが付けられ、ぶらぶらと揺れ続けていた。樹脂で固められているのは、黄金色に輝くコスタリカプラチナコガネである。 義圭は「趣味悪っ」と思いつつも、昨日こんなものを身につけていそうな人と会ったことを思い出していた。 「昨日、図書館で昆虫学者の女の人に会ったんだけ……」と、兼一に言いかけた瞬間に義清は無意識に防犯カメラの方を見た。防犯カメラの目は無残にも黒いスプレーで塗り潰されていた、そして、防犯カメラの真下には黒のラッカースプレー缶が転がっていた。 「あ? 昆虫学者の女がどうかしたって?」 「いや、それよりあれ……」と、言いながら義圭は目を塞がれた防犯カメラを指差した。それを見て兼一も驚いた。 「防犯カメラ、塞がれているよな?」 「うん、ありゃ使い物にならん」 「どうして、あんなことするんだろうな」 「そりゃあ、映りたくないとか? 見られたら困るとかそんな事情があったとしか」 「防犯カメラに映ったら困るなんて、どんな(やま)しい事情が……」 注連縄(しめなわ)の向こうは立入禁止、そこに入るためには防犯カメラの前を通らなくてはいけない。しかし、防犯カメラの目を塞いでしまえば、後から映った姿で追求されることもない。 それに気がついた義圭は手を叩いた。 「昨日、昆虫学者さんにこの先にあるクヌギの木のこと教えたんだ」 「ああ、俺らもここが封鎖される前までよく行ってたな」 「あの人、オオクワ欲しがってるようだったし……」 「おいおい、今はそんな女のことなんかどうでも…… 勝手にクワガタ取って売ろうが知ったこっちゃないだろ?」 「じゃ、何で戻ってきてないんだ!」 義圭は車のドアノブに手をかけた。ドアはゆっくりと重厚感のあるその身を開くのであった。そして、申し訳ないと思いながらも、助手席に置かれていた鞄を検めにかかった。 「都会者(とかいもん)はこういう時大胆だな……」 「大胆に都会も田舎も関係ないよ」 鞄の中には、雨翔村に関するPDF資料を印刷した紙が束になって入られていた。更に紙束の一番下には二つ折りの財布が入っていた。 中身は5万円程に、100円玉を中心とした小銭が十枚程。そして、免許証にクレジットカードが三枚、後は薬局やスーパーマーケットのポイントカードが数枚入っているだけだった。 「財布置いて行ってるってことは、目的(オオクワ)取ってすぐに帰るつもりだったんだろうね」 義圭は財布を鞄に戻し、身を引く途中で後部座席を見た。後部座席は全て倒され、平坦なスペースとなっていた。その平坦なスペースには大きな真円が凹みとなって描かれていた。 「そうそう、この村に何かもの売ってる場所ってないかしら?」 「コンビニと雑貨屋さんしかありませんよ」 「やっぱり? 大きい入れ物欲しいのよね。そう、ポリバケツみたいな」 「ポリバケツ?」 「大量に虫を持ち帰りたいじゃない?」 義圭は安里との最後のやり取りを思い出していた。
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