三章 天狗攫い

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 二人は注連縄(しめなわ)の向こう側の砂利道を歩いていた。歩くだけで砂利と砂利がぶつかりあう砂利を踏みしめる音が発生する、その音を遮るように蝉時雨が辺りに響き渡り、樹々のざわめきに混じり、雉鳩が珍妙な歌を歌う。気温は靄に包まれているおかげか、夏の日中とは思えないぐらいに寒く感じる。 それにも拘らずに二人は汗をかいていた、今朝よりずっと村の中を走り回っていた故のものである。 「何だかんだ、走り回ってるから体が暑いな」 義圭はポケットから青いハンカチを出し、額に浮かぶ汗を拭った。 兼一はハンカチを持っておらず、Tシャツの袖を額に擦りつけて額の汗を拭っていた。 義圭が青いハンカチをポケットに入れようとすると、ほんの僅かではあるが紫色の染みが付いていることに気がついた。首を傾げながら、その場で足を止めた。 「どうした?」 「ハンカチに染みが」 「そんなのどうでもいいじゃねぇか」 「いや、東京で洗ってから今日までずっと旅行鞄に入れといたハンカチだぜ? 汚れるわけないじゃないか」 「ハンカチなんて汚れるもんだから、どうでもいいじゃねぇか。俺なんて土曜に制服洗濯に出す時しか洗わねぇけど綺麗だぜ?」 不潔なやつだ。トイレが終わった後に手拭いただけでも酵母やカビが繁殖するというのに…… まぁ、一日中何触ったかも分からないのにロクに洗わずにスマートフォンを触っている俺には言えたことじゃないかもしれないが。 義圭はそんなことを思いながら、紫色の染みをじっと眺めていた。 その紫色の染みはハンカチの布と布が重なり合う綾に細かい粒が浮き上がっていた。紫色の染みは細かい粒で構成されているように見えた。 義圭はその紫色の染みに見覚えがあった。 「血?」 今年の5月のGW、義圭は塾の合宿で多摩の山間地区にある塾所有の保養所に行っていた。 その時の息抜きで友人の塾生達とバスケットボールに興じていたところ、強めのパスを受け取りきれずにバスケットボールが顔面に直撃してしまった。鼻の骨こそ折れなかったものの盛大に鼻血を出してしまい、医務室に運ばれるまで持っていたハンカチで鼻を押さえて出血を押さえていたのである。 その時に使っていたハンカチは今持っているハンカチであった。青いハンカチは義圭の鼻血で真っ赤に染まり、血が染み込み、血の赤とハンカチの生地の青と混じり合い、紫色に染まった。時間が経過し、血が酸化しハンカチは茶色く色を変えた。 紫色の染みがついたハンカチを眺めていた義圭はそのことを思い出していた。 「ケンちゃん、ちょっと俺の顔見てくんない?」 「何だよいきなり」 「オデコとか、傷ついてない?」 兼一は義圭の顔をじっと眺めた。毎日見る顔と何も変わらない、違うと言えば剃り残しの無精髭が多少残っていたぐらいであった。 「いや、特に何も」 「ニキビとか潰れてない? 潰して脂肪がぶにゅって出るのが面白くてよくやるんだよね。んで、加減間違えて血出るの」 「変わってんな。ニキビなんて潰すなよ」 「うるせぇな。で、どうなんだよ」 「なぁんにもついてないぜ。たかが染みぐらいで神経質なんじゃねーの?」 血を触るようなことなぞあっただろうか? そもそも、今日触ったものなんて数えるほどしかない。 義圭はそれを列挙する。朝から触ったものは、昼過ぎに飲んだラムネの水滴がついた手を拭くので(ぬぐ)われているから論外だ。 それ以降に触ったものと言えば…… 車に…… 他には……
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