三章 天狗攫い

22/54
前へ
/137ページ
次へ
銀男が採石場に到着する数時間前のこと、義圭の家の留守番を任されていた間に図書館に行き、もう一つの天狗攫いについて調べていた。 図書館フロアの隣には閉架図書が置かれた部屋がある。受付が民俗資料館の仕事を受付の仕事をしている隙を突き、人目を忍んで(と、言っても誰もいないし、受付も新聞を読み耽っていた)閉架図書の閲覧をしたのである。 閉架図書とされてはいるが、天狗神社に昔からある古文書で、日記のようなものである。 それには雨翔村が天狗村と言う名前だった時に起こった「事件」が記載されていた。 天狗村には古くから続く因習があった。 その昔、村に謎の白く冷たい霧が発生し、村民は謎の病に侵され、作物も霧に包まれた寒冷環境では育たなくなり、不作になったという。 村の宮司、村に昔からある神社、天狗神社の宮司である。 宮司は「村の者皆が蔑ろにした、山におわす天狗の怒りだ」と言った。 そして、怒りを鎮める方法として「村の子供を一人生贄に捧げなさい」と、続けた。必ず「村の子供」であることが条件とされている。他の村から子供を選ぶことは絶対に許されない。 天狗村の者、天狗者(てんぐもの)しか生贄の資格はない。 天狗の生贄に捧げる方法は「天狗の抜け穴」に子供を入れること。 子供を入れれば後は天狗様が連れて行ってくださる。 白羽の矢が立った村人は、泣く泣く我が子を天狗の生贄に捧げた。すると、霧は瞬く間に晴れたという。 村人達は宮司に感謝し、これ以降宮司の言いつけ通りに毎年子供を生贄に出す儀式を続けた。 時が進み、近代化の波が村にも来たことで儀式は取りやめられた。天狗が災害を起こすなど迷信であると考えるものが増えたからである。 こうして、儀式は取りやめられたのだが、再び謎の霧が村を包み込むようになり、例年にない不作の年となった。それによって宮司一族は生贄の儀式の再開を提案した。 しかし、この近代化の時代に生贄の儀式を再開すると言って首を縦にふる親はいない。 ならば、天狗攫いとして子供を攫ってしまえばいい。宮司一族を中心とした村の一部の者は生贄として何も知らぬ家の子供を攫うようになった。 それに気が付き、我が子を守護(まも)ろうとする親はどんな手でも使ってくる。ならば、こちらも手段を選ばずに子を奪取すること。守護(まも)ろうとした親には「いないもの」とする報いを与えよ。 この因習を続けなければ村が滅ぶ。村を滅ぼさぬために涙を呑んで我が子を捧げた親たちの悲しみの呪いを(いだ)いて村の繁栄を望む。 十代目 天狗神社宮司 土生蔵人(はぶ くろうど) 尚、これらの内容は口伝のみで伝え繋げること。誰にも読まれることなかれ。
/137ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加