三章 天狗攫い

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背は高い方だろう。段差の上に鎮座する小さな天狗像より高いぐらいである。 天井から差し込む光を浴びる頭には、黒い小さな帽子が額に貼り付けられたように被せられていた。その帽子は遠目で見て円形に思われたが、僅かに角度があるように見受けられた。義圭のいる樽の中からではそれはハッキリとは分からなかったが、黒い小さな帽子のある額は髪がなく禿げ上がっていた。 その額は赤かった、真っ赤では無く、日に焼けた感じの赤さである。目は横顔故にその全景は分からなかったが、二重瞼でぱっちりとしていることだけは分かった、顎にはサンタクロースのような白い髭が蓄えられていた。 しかし、目や顎など問題ではない。その真下の鼻が高いことの方が問題なのである。 その横顔は(まさ)しく、天狗そのもの。 服装も三年前に見た時と同じ白装束、山伏が着るような修験装束である。 白鳥の翼を思わせるような白く大きな袖。それを揺らす姿は大きな体をより大きく見せた。胸の前には真白い装束とは真逆の黄色と橙色の中間ぐらいの色をした小さな梵天をつけ、襟巻きを思わせる袈裟が巻かれていた。 義圭はそれを見て全身が震え上がり恐怖に支配された。だが、金縛りにあったかのように動かない体は僅かに開いた蓋を持ち上げるのをやめ、完全に身を隠すことを許さなかった。 はたまた、天狗の姿を見続けたいと言う願望が無意識下にあり、天狗から目を離すことを許さないという願望があったのかもしれない。 天狗は祭壇の前に立ち、目の前にある巨大な天狗像に向かって手を組んで合わせ膝を折り、跪いた。そして、義圭には聞き取れない言葉を呟いた。 「mater mater…… amo…… amo…… amo…… mater……」 天狗は呟きながら天井から差し込む光を拝んでいるように見えた。 その赤い顔の頬には一条の涙が輝いていた。 「memento mater…… quotidiano……」 英語の発音に近いが、何を言っているかが分からない。そもそも英語なのだろうか? 義圭にはヒアリングでの言葉の判断がつかなかった。 「mater nox nox pollice verso femina…… Timeo timeo」 天狗は首を三人の入った樽の方向に向けた。バレたか? 義圭は震える左拳を握り、この蓋を開けようものなら、その高い鼻に一撃を叩き込むつもりだった。 一瞬、天狗と目が合った。天狗の目は青とも緑とも言えない色だった。鋭い眼光の中に光る外国人のような目、その目を見ていると何故か心が洗われるように落ち着いてくる。義圭は拳を握る力を緩め、引っ込めた。 天狗は三人の入る樽を素通りし、その後ろに置かれていたポリバケツを両手で持ち上げた。その大きさはゴミ捨て場に置かれているポリバケツぐらいであるが、巨躯の天狗が持つだけで、子供が砂遊びの際に使う玩具のバケツぐらいに小さく思えた。 天狗はポリバケツを祭壇の前に置き、軽く とん! と突いて倒した。
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