三章 天狗攫い

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「もう、行ったみたいだね」 銀男がこう言いながら樽の蓋を持ち上げて、スッと立ち上がり、跨ぐように樽の外に出た。樽の外に出るなりに雑に放置した骸骨に向かって手を合わせる。 「この方達には申し訳ないことをしました。無事にここから出た後に然るべき方法で埋葬をしてあげないと」 銀男は自らの衣服に付いた埃を叩きながら払った。すると、祭壇の横に置かれていた小さなバスケットが目に入った。 「赤ん坊を入れる(バスケット)のようですね」 「まさか、中身入ってるんじゃ」 「カラですね。おや、ネームプレートがありますね」 銀男はネームプレートの埃を指で払い、最後にふぅと息を吹きかけた。 canis aether 197■(年号の下一桁は擦れていて読むことが出来ない) と、刻印がされている。 「canis aether…… カニス・アイテールでいいんでしょうか。名は体を表すとは言いますが、まさかここまでとは」 義圭は(バスケット)を後ろから覗き込んだ。義圭は文字こそ読めたものの意味は分からなかった。 「これ、なんて書いてあるんですか?」 「恐らくですが、ラテン語ですね」 「ラテン語……」 「カニスは犬、アイテールは天・天上を意味します。ああ、アイテールと言うのはギリシャ神話における始まりの神々のうちの一人です」 「天の犬、ですか?」 「ギリシャ神話に犬はいますね。ですが、犬で神になった者はいません。始まりの神々のうちの一柱(ひとはしら)の地母神ガイア、その孫にエキドナと言う下半身が蛇の化け物がいます。そのエキドナが、地母神ガイアの実子である化け物テュポーンと交わり生まれたのが、犬の姿をした化け物のケルベロスとオルトロス。広義で言うなら彼らも神で天の犬と呼ぶに相応しいかもね」 「こんな時にギリシャ神話の講義をされても困るんですけど……」 義圭はこの非常時に延々とギリシャ神話の知識を語る銀男に腹を立て、険しい顔を見せた。 「失礼失礼。天の犬と単純に訳されたもんでついね、私は洋画の翻訳みたいにフランクに訳したんだ。犬の漢字を(けものへん)に句読点の句の方にして読んでみなさい」 「天の狗、天狗……」 「そう、カニス・アイテールは天狗をラテン語読みしたものなんだよ。そして、70年代に生まれたことが予想できる。1970年代に生まれたとしたら、最低でも40代ぐらいの年齢にはなっている。さっきの天狗と似たような年齢とは思わないかい?」 「天狗に年齢なんて」 「先程、あんなものを見ておいてなんだけど。私はオカルトの類は信じない性質(タチ)でね。あれは天狗ではありえないと思うよ」 「でもあの顔つきは……」 「あの彫りの深い顔、多分だけど欧州の血が入ってるね。何でそんな(トコ)の人間が日本のこんな山奥で修験者の格好して、殺人鬼(ブギーマン)なんてしてるかは知らないし、どうでもいいです」
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