三章 天狗攫い

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銀男はあばら家に向かった。ゆっくりと扉を開け、中に天狗がいないことを確認する。 天狗はいなかった。しかし、先客はいた。 物言わぬ先客達は、あばら家の床や中央のテーブルに突っ伏して転がっていた。いずれも白骨死体である。 「少し待っていてくれないか」 銀男は物言わぬ先客達に手を合わせた後、優しくそれらを隅に寄せてスペースを作った。銀男は物言わぬ先客の着ている服を見ると、彼らは薄緑色の作業着を纏っていることに気がついた。その胸には「田中電機店」と刺繍がされている。 テーブルの上には中身がカラで封の開けられた酒瓶が転がっていた。 「口封じに毒でも仕込んだか…… 寝込みをさっきの天狗(ブギーマン)に殺られたと言ったところか……」 電機店店員の亡骸をあばら家の隅に運んでいく銀男。その中の一つに、他とは違う格好をした亡骸を見つけた。 群青色の作業服を纏った背を向けた亡骸である。主任さんだろうか? こんなところで亡くなって甲斐が無い…… 銀男が持ち上げ運ぼうとすると、肩に見知った代紋(エンブレム)があり、この亡骸が電機店店員ではないことが分かるのだった。 「桜田門……」 黄金に輝く桜の代紋が刺繍された群青色の服。そんなものは警察官の制服以外にはありえない。どうしてこんな所に警察官の亡骸が…… 階級章を見ようと亡骸を正面に向けた瞬間、銀男は全身の血の気が引くようなものを見てしまった。 その警察官の亡骸には右肩から左脇腹にかけて逆袈裟斬りの傷がついていた。群青色の制服は無残にギザギザに裂かれている。右腕に至っては肘から下は存在すらしていない。 この警察官は一体何があって、こんな殺され方をされなければならないのか…… 銀男にはただただ、この男の冥福を祈ることしか出来なかった。 銀男が祈りを終え、目を開くと、心臓のある左胸ポケットに僅かな膨らみがあることに気がついた。 「失礼」 銀男は警察官の亡骸の左胸ポケットのボタンを開けた。開けた瞬間にぶわっと埃が舞い踊る。埃を軽く手で扇ぎ、左胸ポケットに手を入れると、そこには警察手帳が入っていた。 今や物言わぬ髑髏(しゃれこうべ)となったこの男を証明する為の唯一の手段。本革製の二つ折りの縦開きの警察手帳を開いた。 顔写真は純朴で真面目そうな男、階級は巡査、名前は秦仁志(はた ひとし)、所属は地元県警。おそらくはこの村の長閑(のどか)な平和を守る村人に頼られる警察官だったのだろう。 こんな警察官が何故にこんな無残な死に方を…… 銀男は改めて仁志の亡骸に手を合わせた。
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