三章 天狗攫い

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秦仁志の遺体が寄りかかった薄い木の壁、そこに連続する刃が顔を出す、がりがりがりがりとチェーンソーを動かし、薄い木の壁を破り砕いて行く。そして、チェーンソーを持った主はボロボロになった木の壁を蹴り砕いた。 あばら家の壁に人一人分ぐらいの大きな穴が空いた。 そこにいたのは天狗であった。天狗は鋭い眼光で二人を睨みつけた。その手元には羽根団扇ではなく、チェーンソーが握られていた。チェーンソーはエンジン全開フルスロットル状態で悶えるような唸り声を上げる。 これまでに三度相対した天狗。四度目にして初めて直接の遭遇である。 義圭は震えながらも立ち上がり、天狗と目を合わせた。 「qui! qui! hic domus!」 何を言っているか分からない。二人は後ずさる、義圭は長椅子に乗せた桜貝に手を伸ばした。 「morieeeeeee!」 天狗はチェーンソーを上に振りかざして駆け寄ってきた。そして、何の躊躇いもなくチェーンソーを振り下ろす。テーブルは高速回転する連続したチェーンソーの刃によって分断された。 「morieeeeeeeeeeee!」 目標を外したことに悔しがるように天狗は叫んだ。その叫びはあばら家全体がぶるぶると震えるぐらいに激しいものだった。 そしてキョロキョロと首を動かして銀男の方をじっと見ると、再びチェーンソーを上に振りかざし駆け寄ってきた。 銀男は反射的に自分の座っていた椅子を前に出し、その身を塞いだ、僅かでも躊躇い反応が遅れていれば、銀男は今頃体をズタズタにされ分断されていただろう。厚みのある木製の椅子のおかげで、その刃は銀男の身に届かない。 木屑が銀男の全身にシャワーのように浴びせられるが怯み力を抜くことは許されない、怯み臆すれば「死」なのだから…… 義圭はそれをただ震えながら見ることしか出来なかった。何をすればいいかのかが分からない。銀男を助けに割って入るべきなのか、桜貝を背負い逃げるべきなのか、二つの考えがせめぎ合う。 卑怯者と言われ罵られても、一人でそのまま逃げることが義圭の頭に過ぎった。例え一人で逃げたところで誰が責めるというのだ? あんな人間かどうかも分からないものと相対すれば逃げても仕方ないこと。 だが、これで逃げたら二人はどうなる? そこにある屍達の仲間入りをするだけだ。こんなことはあってはならない! 義圭は後ろポケットに入れていた懐中電灯を天狗の顔面に向かって投げつけた。懐中電灯は天狗の右目に直撃する。その瞬間、天狗はチェーンソーを思い切り横薙ぎに振り抜いた。 銀男の持っていた椅子はその勢いに乗り分断された。銀男は肝を冷やしながらその場に腰を下ろし、そのまま後ずさるように義圭の元に近づいた。 「おかげで助かったよ」 「……」義圭は返事をしなかった。その目線は左手で目を押さえながら苦しむ天狗に向けられている。天狗の右手に握られたチェーンソーは未だにその激しい唸り声を止ませることはない。
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