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ほの暗い道に、青白の明かりが灯る。小夜は提灯を浅葱に向けた。
「ご苦労様。よかったわね、心残りが晴れて」
皮肉たっぷりに言ったつもりだったが、浅葱は意に介さない。それどころか屈託のない笑顔を向けてくる。
「心残りなんて、いくつ挙げてもきりがねぇ。でも最後に鬼同心の泣きそうな顔が見られたから、よしとするか。感謝するぜお姫さん」
そうしてすぐに申し訳なさそうな顔をした。
「――もう仕事の邪魔はしねぇよ。すまなかったな」
浅葱はにっと笑い、勝手に先を歩き出したので、小夜は早足で追い抜く。なんだか憎めない人、小夜はこっそりつぶやく。
「ねぇ。あなたも生きるのに苦労してきたのでしょう? なのに、どうしてまだ生きたいと思うの。ここにはもう苦しみも悲しみも、痛みもないのに」
「そりゃあ、現世には大切なもんがあるからな。そいつにもう二度と会えない、かかわれないと思ったら、やっぱり生きたいって思うだろ。つらくても苦しくても、さ」
小夜には、大切なものがあるのだろうか。現世とは隔絶された影に存在している自分に、思い当たることはない……はずだ。なのに、この胸のつかえは何だろう。
小夜の心の深い深いところで、何かがつかえているような気がしてならない。幾度も死者を送り届け、彼らの人生の片鱗に触れるたびに、つかえが大きくなっていくように思える。それは、小夜に過去の記憶がないのと関係があるのだろうか。
(もしかしたら、私にも大切なものがあったのかもしれない)
時折響いてくる過去からの声。最近少しずつ、鮮明になってきている。なぜ生きたいと思うのか――疑問に思うたびに。
「ま、生きたい理由なんて、人によってそれぞれだろ。なんたって俺はまだまだ若いんだし、これからってときによ。あの野郎! あの世で会ったら覚えてろよ」
浅葱は手のひらに拳を打ち付ける。
「人によっては、死が救いになることもあるわ」
自分が死んだという事実に、ほっとした顔をする人間も多くいる。でも、まだ生きていたかったと口にする人のほうが多かった。
「そうだろうねぇ。死んだほうがマシって思えることなんて、いくらでもあったしな。だが俺は――あの時死ななくてよかった、生きることができてよかったって思うね」
満ち足りた浅葱の笑みに、小夜はとっさに目をそらしてしまった。
何だろう、この気持ちは。
たぶん、初めて小夜はうらやましいと思ってしまったのだ。現世で必死に生きる人たちのことを。
「どうかしているわ……」
小夜は誰にともなくつぶやく。彼らをうらやむ感情なんて、必要ないのだ。彼らを安楽へと導くこと、それが小夜にとって、鬼灯一族にとっての役割なのだ。現世の人間に感情移入してしまえば、その役割に支障が出てしまう。
「ここから先は、あなた一人で行って。私は行くことができないから」
道の果て。
この先はいくら鬼灯の明かりでも、照らすことはできない。
「分かった。ありがとな、お姫さん。俺の勝手に付き合ってくれて」
「あなたみたいな人、初めてだったわ」
「へへ、そうかい。お姫さんの記憶の片隅に残るのなら、光栄だね」
「またそんなことばかり言って」
小夜は呆れながらも笑ってしまう。
「お姫さん。あの世にゆく前に、伝えさせてくれ」
いつになく真剣な顔をする浅葱に、小夜は不思議に思いながらもうなずいた。
「うちの鬼同心、谷野圭介。あいつには、生まれ故郷に残してきた幼い妹がいたんだ」
浅葱はじっと見つめてくるので、小夜は小首をかしげた。
「まぁ、気づかないのも無理ねぇよな。別れたとき、妹はまだ小さかったって言ってたから」
浅葱は小夜を見つめる。
「谷野圭介のもう一つの名は朔(さく)。あいつも、鬼灯一族なんだよ」
「え――?」
驚いたが、役目を捨て、人として現世に住む一族もいるときいたことがある。それよりも朔という名に、小夜の時が一瞬止まったのだ。胸がざわざわするのは、なぜだろう――?
「もう気づいただろう。朔はあんたの兄だ」
「私の……兄? 何を言っているの。私には」
目をしばたかせ、小夜は言葉を切った。
記憶の闇にのみこまれていたものが、動き出そうと、這い出ようとしている。小夜は必死に押し込める。
(駄目、思い出したら)
もう一人の自分が言う。こわい。すべてを思い出すことが。
「まあ、驚くのも無理ねぇよ。でも、よかったな。家族に会えて。な、俺の頼みをきいてよかっただろ?」
口を開く余裕もなく、小夜はただ押し黙っていた。
「圭介に会いに行ってやれよ。あいつ、妹のことすっげー心配してんだから。――お姫さん?」
顔をのぞきこまれ、小夜は我に返る。
「大丈夫かい?」
「え、ええ。ちょっと考えていただけ」
「そうだよな。いきなりだもんな。ま、気持ちの整理がついたらさ。あんな妹思いの兄貴、ほかにいねぇよ」
浅葱は小夜の肩に手をぽんっと置いた。そして先を行き、最後に振り向く。
「じゃあな。お姫さん。また、いつか――」
最後に爽やかな笑みを向け、やがて一気に駆け出す。浅葱の姿は光に包まれ、立ちすくむ小夜を残して消えていった。
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