四、糸の記憶

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四、糸の記憶

  現世とあの世をつなぐ道。小夜は提灯に息を吹きかける。薄青い火が優しく灯った。 明かりが示す方向へ、小夜はひたすらに歩いていく。鬼灯の道は現世の街道を通らなくても様々な場所へ続いているのだ。 やがて光が小さくなり、しゅっと音をたてて消えると、辺りが陽の光に包まれた。 小夜はどこかの山中に立っていた。木々の間から、朽ちた木材のようなものが見える。よくよく目を凝らすと、焼かれたように真っ黒だった。 鬼灯一族の隠れ里にたどり着いたのだと、小夜は悟る。 一度だけ大きく深呼吸をすると、一歩、また一歩と足をすすめた。 近づくたびに、何か温かいものが小夜の胸にこみ上げてきた。風が葉を揺らす音、鳥たちのさえずり……そうだった、確かに自分は……この場所に生きていた――。 でも肝心の記憶がよみがえってこない。 (もう少しでみえそうなのに) 小夜は止めていた足を動かし続け、そして目前に広がった光景に立ち尽くした。 圭介が言った通り、里があったであろう場所は荒れ果てていた。家屋の残骸ともいうべき朽ちた木材がいくつも転がり、中には焼け焦げて黒くなっているものもあった。 (あれからもう、三年も経っているというのに) 本当にそのまま、悲劇のときのまま時が止まっているようだった。 記憶の断片を探すように、残骸の中を歩く。その時だった。 「小夜ちゃん!」 駆けてくる小袖姿の娘がいた。彼女を見たとたん、辺りの様子が急に一転する。――茅葺の民家、しなやかに揺れる田畑が、陽ざしに輝いて――小夜は明るい風景の中に立っていた。そして。 「糸(いと)!」 ごく自然と、小夜は彼女の名を呼んでいた。覚えている――彼女は小夜の幼馴染だ。 「小夜ちゃん、実はね話したいことがあるの」 糸ははにかむようにして微笑んだ。   里の端には、切り立った小高い丘がある。石を積み上げてできた階段があり、里の者なら誰でも登ることができた。 小夜は糸に続いて身軽にのぼっていく。 (話って、何かしら) わくわくするような、くすぐったくなるような。どんな話なのか、とにかく楽しみだった。 丘の頂上には小さな祠が祀ってある。長年雨風にさらされて古びてはいるが、毎年代えている紙垂だけは妙に白い。 祠には酒呑童子の遺物が祀られているらしいが、祠を開けたことがないので実際のところは分からない。 鬼灯一族は酒呑童子に仕えていた鬼たちの末裔だと、長い間語り継がれてきた。 現世にとどまった鬼灯一族はそののち戦国の世で大いに活躍し、やがて関ケ原の戦いで東軍として従軍。数々の武功をたてたのだが、能力をおそれた徳川家康により、秘密裏に一族掃討の命が下された。 一族は追われ、多くは散り散りとなったが、東北の地に逃れた主力の一派が会津の地に身を隠した。それが今、小夜が住む隠れ里となったのだ。 鬼灯一族の歴史についてもまた、耳にたこができるかというほど聞かされていたけれど、小夜は特に興味はなかった。 (こんなことを言ったら、怒られちゃうわね) 胸の内に秘めておく。 かつては百人ほどが移り住んだと聞いたが、いまでは半数以下だ。滅びゆく一族。皆、それを知りながら、静かに暮らしている。 小夜は、この祠から見える景色が好きだった。ここからは里が一望できる。山々が連なる谷間に、茅葺屋根が整然と並んでいて、肥沃な土地に田畑が潤っている。小夜が住む屋敷が一番大きいのは、小夜が鬼灯の姫として生まれたからだ。 稲は少しずつ金色に染まりつつあり、もうすぐ稲刈りができるだろう。 小夜は生まれた時からずっと、この里で育ってきた。春にはやわらかい若葉が揺れ、夏は水辺に蛍が飛び交う。 秋は実りが多く、冬に向けての準備が始まり里は忙しくなる。冬は雪深く、白に埋もれるほど厳しいが、その分里は守られる。小夜はこの小さく美しい里が大好きだった。そこに住まう強く優しい一族の皆のことも。 糸は肩辺りで切り揃えた髪が特徴的な、雪のように肌が白くて可愛らしい女の子だった。城下で見かけた、お姫様のような人形にそっくりだと常々思っているほどだ。 糸の小袖も小夜と同じ木綿だが、ところどころほつれている小夜のとは違って、いつもこぎれいであった。小夜は頻繁に里を出るため、獣道を通ることが多い。気を付けていても草木に着物を引っかけてしまうのだ。 「今日も城下に行ったの?」 糸は丘に腰かけると、同じように隣に腰をおろした小夜に問う。 「ええ。貸本屋さんに行ってきたわ」 「……小夜ちゃんはいいなぁ」 「どうして?」 「だって、一人でいろんなところに行けちゃうのだもの。外で危険なことがあっても、小夜ちゃんは強いから一人で何とかしてしまうものね。私は臆病だから、いつも尻込みしちゃって、結局何もできないで終わってしまう」 外に行くことを禁じられているわけではないが、里の皆も、糸と同じようにあまり城下には行きたがらない。 「城下は楽しいのよ。ここよりもたくさん人がいて、甘味屋さんとか、小間物屋さんとか、いろんなお店があるの。時々市も出るのよ。今度一緒に行ってみる?」 そういえば、糸を外に誘うのは初めてだ。里の外に出て行く物好きは、小夜くらいだったので、特に誘ったりはしなかった。 「私が……小夜ちゃんと城下に……?」 糸は一瞬、きらめいたように小夜を見たが、すぐに目を伏せてしまう。 「小さい頃にね、お母さんと一緒に城下に行ったことがあるの。でも……あまりに自分には場違いで……」 糸の言わんとしていることが小夜には分かった。町に出れば身なりのみすぼらしさは隠せない。城下を行き交う娘たちは、派手な着物ではないにしても、上等な着物を身に纏い、美しく髪を結って凛として歩いている。 百姓と変わらない小夜たちは、店に入れば追い出されることもあるし、出店の品物を見たりするだけでも嫌な顔をされることがあった。唯一貸本屋の主人は小夜にも親切にしてくれるけれど。 「そうなの。私はあまり気にしないけれど。なら、城下の外れにある神社にお参りに行くっていうのはどう? 境内で売っているみたらし団子がとびきりに美味しいの。ね、今度一緒に行ってみない?」 「それなら……私も行ってみたい!」 糸は目を輝かせて、大きくうなずくと朗らかに笑う。 「約束よ、糸」 「うん。約束」 二人で微笑み合った後、糸ははっとして口に手を当てた。 「いけない。私、小夜ちゃんに言わなきゃならないことがあって来たのに」 「あら、そうだったわね。聞かせてちょうだい」 糸は立ち上がると、こちらを向いた。 「実は……祝言を挙げることになったの」 驚きつつ、小夜は問う。 「相手は誰なの……?」 「えっとね」 糸は顔を赤らめると、小夜の耳元に唇を寄せてそっとつぶやく。 「惣次郎(そうじろう)⁉」 恥ずかしそうにこくりとうなずく糸。 惣次郎は糸や小夜よりも二つ年上の、里で一番見栄えの良い青年だ。幼い頃は三人でよく遊んでいた。子供の頃はやんちゃで小夜とともに山野を走り回っていたが、今やすっかり大人になり、頼りになる働き手として里を支えている。 「おめでとう、糸。祝言が楽しみね」 「うん」 糸ははにかむように笑む。 小夜は自分のことのようにうれしかった。 (でも、少し寂しい) 急に糸が大人になってしまったような気がした。いつまでも、少女のままではいられないのだ。 けれど、誰かと一緒になるなんて、小夜はあまり考たことはなかった。
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