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すみれの死
「鳴海さん」呼びかける声にうっすらと開けた目には看護師の姿が映った。
「先生がみえました」
ベッドから体を起こそうとした鳴海を医師が手で制し、小さく頭を下げた。
「妻は、どうなんですか」
「一時的ですが奥様の意識は戻りました。日に何度か高気圧酸素療法を施します」
「助かるのですね」
「はい」医師の声に鳴海は安堵の息を吐いた。
「お子様の事をご心配されていたので、今は治療中だと伝えました」
「娘の治療状況はどうなんですか⁉」
「いえ」医師は首を振った。
「やはり回復しませんでした。手遅れだったと言わざるをえません。しかし、最善はつくしました」医師は眼鏡を中指で押し上げた。
鳴海は白い天井を凝視した。すみれが、死んだ……。いってらっしゃいが、鳴海が耳にしたすみれの最後の言葉になったのか。
ドラマの中にでもいるような気分になる。現実感が伴わない。
「そうですか」鳴海は呟いた。「死んだんですか」
報いだろうか。
自分を父と慕うすみれに、お前は実の子ではない、と冷たく告げる自分を何度も想像した報い。いや、報いならばなぜ自分に降りかからないのだ。なにもすみれの死という形にならなくたって。
もう二度とあの笑顔に接することはできない。繋いでくる小さな手もこの腕の中で笑う声も聞くことは叶わない。4年とちょっと、何と短い人生だったのだろう。人生の半分は、父と信じていた男に素直に愛されなかった子。
未来へと続くあの子だけの橋は、わずか1500夜ほどで崩れ落ちた。
どれぐらい天井を見つめていたのだろう。医師の声が鳴海を病室のベッドに引き戻した。
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