ここにいる

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ここにいる

 ゴォン、ゴォン、ゴォン……  数十本の配管が一斉に振動を開始した。壊れた計器やコントロールパネルの残骸が壁にへばりついた空間に、くぐもった金属音が虚しく響きわたる。  音が鳴ってから9秒待てば、この廃液処理室の内壁に毛細血管の如く張り巡らされた全ての配管の排出口から「廃液」が勢いよく噴出することになっている。コンマ1秒のずれもない。  廃液は、この工場の外へと続くドレーンへと注ぎ込まれる。  俺は、いつものように、傾きかけた作業台に腰掛けている。そして、垂れ流される廃液をいつものようにただぼんやりと眺める。  廃液は、どろどろしていて、血みたいに真っ赤な色をして、朦々と水蒸気を吹き上げる。  きっかり6時間おき、一日に4回。この工場が事故のために閉鎖され、工場の機器を管理する者が誰もいなくなった後も、自動的に規則正しく繰り返される廃液排出作業。  これで、5329回、と俺は頭の中でカウントする。事故があった日からこれまでに行われた作業の回数だ。  俺もこんなものを数えたくはないが仕方がない。ここで、時間の経過を示すものは、赤い廃液の定期的な噴出の他は何もないのだ。  3年前、爆発事故があり、ここでは多くの工員が巻き込まれて死んだ。政府は緊急にこの工場を閉鎖し、生き残った工員達は、レスキュー隊に救助されて、火星に建設された新首都に送られた。  ただ一人、俺を残して。  逃げ遅れたのだ。爆発の衝撃で何かに頭をぶつけ、気を失っていた。死んでいると思われたのだろう。レスキュー隊は、死体を回収したり等と余計な事はせず、生きて動ける人間だけを連れて行ってしまった。  彼らは正しかったと思う。人命救助が何よりも優先されるべきだ。ひとたび事故が起これば、ここは地球上で最も危険な場所となるのだから……この人工太陽製造所は。  そう。この工場は、その名の通り「太陽」を作る場所だった。  百年以上前から、地球の地表には太陽光が届かなくなっていた。高濃度のスモッグが大気に充満したためだ。おかげで、地球は常に闇の中にあり、凍り付くように寒い。人間が生きるためには、ほど良い暖かさと光を与えてくれる人工の太陽が必要だった。  人工太陽製造所では、超高温の液状物質を気化させて、直径5m程度のマイクロ人工太陽を量産し、地球上の各地に出荷していた。  地球の人口は減少傾向にあるもの、人工太陽の売れ行き自体は右肩上がりだった。しかし、地球という荒れ果てた大地の果てに佇む工場で働きたいという者は少ない。人手不足の末、製造現場での管理体制が雑になり、その結果が大事故に繋がった。  全てが終わった後、俺は死体の山の中で目覚めた。あの時の絶望を言葉にする事はできない。  火星にある本部との通信を試みたが、無駄だった。通信設備も破損し、使い物にならなくなっていたのだ。  俺は泣きながら、物言わぬ同僚達一人一人の体を運び、ドレーンに並べて横たえた。その作業がちょうど終わった頃、廃液排出の時刻が来た。真っ赤な廃液がドレーンに注ぎ込まれる。人工太陽のなり損ないの液状物質は、一瞬にして全ての死体を跡形もなく蒸発させた。  自分も廃液の赤い川の中に飛び込もうか、という気持ちがなかったわけではない。だが、結局その勇気はないまま、今までずるずると生き延びている。幸か不幸か、ただ生きるだけならば、この廃工場での暮らしに不足はなかった。食糧や水の備蓄は一人の人間に対しては十分過ぎる程にあり、温度管理システムは奇跡的に正常に機能している。  死ぬことができないまま、ただ赤い廃液が汚物のように垂れ流される回数をカウントし続ける日々。永久に続く地獄のように思えた。  しかし、あの日、俺はついに見つける事ができたのだった。  仮眠室だった部屋のハンガーに掛けっぱなしだった誰かのジャケット。暇つぶしの気持ちで、ポケットの中を指で探った。指先に堅いものが当たり、摘みだした。小さなピルケースだった。  蓋を開ける。入っていたのは薬ではなかった。  爪よりも小さな粒状の物体。掌の上に出して、まじまじと眺めた。  それは植物の種子だった。  俺は驚愕した。地球上では植物の大部分がそう遠くない昔に絶滅したはずだ。  ゴォン、ゴォン、ゴォン……  振動音が響く。廃液排出の時間だった。俺はひとまず種子を机の上に置いて、廃液処理室に向かう。わざわざ行く必要もないが、廃液の赤い流れを毎回確認するのが習慣になっていた。  やがて、いつものように、どろどろした赤いうねりを一通り眺め終えた後、仮眠室に戻った。部屋に入ると、白く冷たい明かりが俺の顔を照らす。卓上ライトを消し忘れたのだ。次の廃液の排出時刻まで一眠りしようと、明かりを消しに机に近づいた。  視界の端にふと違和感を感じる。  置きっぱなしにしてあった種子……形が先ほどと少し変わっている気がしたのだ。  指の腹に載せ、違和感の元を探る。  発芽していた。  俺の体に震えが走った。  この種子は光に反応して生き返ったのだ。  俺は種子を作業着の胸ポケットに突っ込んだ。工場の中枢部にあるコントロールルームに足早に向かう。  動悸が速まる。凍り付いたはずの感情が溶け出し、動き出していた。  光が欲しい。頭にあったのはそれだけだった。  この種子に……俺の他に唯一生き残ったこの生命に、光を。  メインコントロールパネルの起動スイッチを入れ、錆の浮き出た操作レバーを握る。人工太陽の製造工程を司る制御システムは辛うじて無事のようだった。  モニターには、工場の地下にある原材料貯留槽が映し出される。レバーを引く。原材料貯留槽の中の液状物質は、水蒸気を勢いよく吹き上げながら汲み出され、加圧フレームに流し込まれた。この3年間ただの不要物として廃棄されていた液体は、今この瞬間、もはや「廃液」ではなくなった。光を生み出すための貴重な原料だ。  フレームの中で、液状物質に圧力が加えられる。どろりとした液状物質は発光し、気化する。計器で温度を確認しながらロボットアームを操作した。フレーム内部に磁力を発する核を挿入すれば、物質は回転しながら球形にまとまる。  人工太陽の完成だ。  腹の底から、忘れていた高揚感が湧き上がる。  3年前まで、俺は確かにここで一人の技術者として、自分の腕に誇りを持ちながら働いていたのだ。その事を思い出した。  出来上がった人工太陽は、磁気クレーンを操作して、工場の玄関ホールまで移動させた。玄関ホールの屋根は既に崩れ落ち、闇と冷気に充ちた死の空間と化していたが、人工太陽を頭上高く浮かべた事で、光と暖かさを取り戻した。  俺は人工太陽の光が降り注ぐ床に種子を置いた。  すると、驚くべき事が起きた。俺の見ている前で、種子が猛スピードで成長を始めたのだ。  発芽した種子は双葉になり、双葉は若木に、若木はみるみるうちに太くなり、枝葉を伸ばし樹木になった。根は、コンクリート製の床を突き破って地下へと伸びていくようだった。  俺は笑った、3年ぶりに。  この木は、俺を待っていたのだ、と思った。「ここにいるぞ」とずっと俺に呼びかけていた。あのジャケットのポケットの中で。気がつくのが遅くなってしまったが、俺はようやくこいつに出会う事ができた。もう一人ではない。  用具室から引っ張り出してきた鋸を使って、枝を何本か剪定してやった。残った枝は、上へ上へとさらに成長した。  やがて、光を浴びて逞しく成長する枝の先には、ぽつりぽつりと花が咲いた。白桃色の小さな、可愛らしい花だった。  廃液排出作業の時刻が何回か過ぎたが、俺はもう廃液処理室には行かなかった。  木に水を与え、枝を剪定する事に夢中になった。 ――誰カ、イルノカ?  その声がスピーカーから流れたのは、俺の見ていない廃液処理作業の回数が十回を越えた時だったと思う。 ――強イ生体反応ヲ検知シタ……居住シテイル者ガイレバ応答セヨ……  俺は、弾かれたようにコントロールルームに走った。  もはや機能しないと思っていた通信設備が、パトロール衛星からの信号をキャッチしたのだ。しかし、受信はできてもこちらからの発信はどうやっても出来ない。 「ここにいるぞ! ここにいる!」  俺は天に向かって思わず叫んだが、当然ながら人工衛星軌道まで届くはずもない。  だが、考えがあった。パトロール衛星が検知した強い生体反応……きっとそれは、あの木の発するエネルギーだ。だから、木の発するエネルギーを増大させればいい。  俺は、再び木の元に駆け戻ると、片腕に鋸を抱え、幹によじ登った。登りながら、低い場所に生えている枝を切り落とす。その度に、高い枝はぐいぐいと伸び、更に高くなる。枝の先には新しい花が咲き、古い花は散る。  枝は、玄関ホールの天井の空虚を覆い尽くし、それでもまだ伸び続けた。振り落とされた幾百、幾千もの白い花弁が舞う。 「ここにいるぞ! 俺はここだ!」  俺は狂ったように叫びながら余計な枝を切り落とし続けた。  木は伸び続ける。  そしてついに、一番高くまで伸びきった枝の先は人工太陽にまで到達した。  パンッ、と破裂音が響く。  俺は我に返った。こいつはまずい、と思ったがどうする事もできない。  それでも枝は成長を止めない。人工太陽を一気に突き破った。  破れた人工太陽から、どろりとした赤い液体が溢れ出す。枝を伝わり、勢いよく流れ落ちた。  液化した超高温物質に触れ、木の枝は赤く染まり、蒸発し、溶けていく。枝に残る白い花は散る間もなく、熱のために萎れていった。  俺は身じろぎもできず、木にしがみつく。  向かってくる赤いどろどろを見つめる。幾度となく眺めてきた廃液の流れ。  呑み込まれる直前、俺は掠れる声で呟いていた。 「俺は、ここに、いる……」
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