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翔と私の復縁は11月中は知られなかったが、末頃になって父の密偵が嗅ぎ付けた。 私は相変わらず仕事ばかりしていたものの、休日は時間を作って翔と慌しく逢っていて、そこから知られたのだった。 女史の制止が効いているのか、今度の父は以前のように彼と家族を陥れようとはしなかったが、私達を物理的に引き離すしか手はないと考えたようだった。 翔の会社の社長を通じて、彼をアメリカのボストン大学に研究員として派遣させるという話が持ち上がったのは師走直前の11月30日だった。 彼からそれを聞いた時、これは父の策だと私は勘付き、友樹から詳細を知らされても驚きはしなかった。 それに私は一つの計画を持っていたのだ。 友樹は私たちの復縁の経緯を聞いて、あの冷血女にもちっとは人間の血が流れているらしいな、と相変わらず手厳しい言葉を述べるに留まったが、我々が元の鞘に納まったのを喜んだのもつかの間の新たな問題に、顔を曇らせた。 「アメリカ行きの話はな、阻止は無理だ。トップ同士の話では、俺なんかじゃ対処しようがないよ。加えて研究所の所長もそれに賛成しているんだ、あの子にもっと勉強させてやりたいって」 「ああ、判っているよ。翔はマスターとドクターを取らせるべきだと私も思っていた」 理学博士号をカリフォルニア大学で取得した友樹は、そうかも知れないと答えた。 「どうせなら海外の有名大学で取得した方がつぶしは利くしな。伯父貴も今回は小洒落た手を考え付いたもんだ。しかしお前、だからってこのまま引き離されるのを大人しく見ているつもりなのか」 私は黙って微笑んだ。 ゼロアワーの本拠地は米国支社だ。元々年末には渡米し、向こうで居住するつもりでいた私には、障害でもなんでもなかった。 父の企みは、今度はことごとくこちらの思惑に沿う形となっていることを、心中で喜んでさえいた。 私の謎の笑顔を見て、友樹は「何か手を持っているな」と探るように私を見遣る。 「ないとは言えない」 「ふん。だったら好きにするがいいさ、俺は止めないぜ」 肩を聳やかし、友樹はざっくばらんな口調で答えた。 「今度こそ伯父貴と戦争やらかす気だろ?」 「―――」 「不思議なもんだな。あんなに穏やかな子が発端で、東城のNo.1とNo.2が戦争か」 「さあな」 以前からの計画だからそれだけではないのだが、翔という要素もそれに加わっているのは否めない。 友樹は私の顔を見るだけでそれ以上語らなかったが、そうやって東城の主導権を獲った所で、その後はどうすると言いたいのは一目瞭然だった。 後継者を儲けることが出来ない私がトップに立っても、断絶するだけだと彼は杞憂しているのだ。 その心配はまったくなかった。私には弟たちがいるのだから。 自分のことよりもむしろ、翔の方が心配だった。 彼が私の考えている案に果たして賛成してくれるかどうか、と。 ※ ※ ※ 「アメリカに?」 12月の半ばの週末、翔は私の話を聞いて一瞬絶句した。 「仕事で行くって?」 「そうなんだ、年末には渡米する予定だ、まだ会社にも家族にも内緒だがね」 「何だか、タイミングが良過ぎる……」 またもや私が彼に合わせているのではないかと翔は呟いた。 「違うな、君の方が私の予定に合っているのさ、私のこれは数年前から考えていたことだからね」 「……本当に?」 「そうだとも」 ふうんと翔はまだ腑に落ちない様子だったが、続く私の言葉にまたもやびっくりした。 「僕が会社を辞めて、アメリカで暮らす? 貴方と一緒に?」 「そうだ。日本にはもう帰らないつもりだし、君も学位を海外で取るのなら、いっそのこと、そうしないかと思ってね」 「会社辞めてどうなるの? 大学は会社のお金で行かせてもらう予定なんだよ、個人で留学する費用なんて僕にはない」 「だから、君がうちの会社に入ればいい。東城は国内では貿易しか手を付けていないが、海外ではその関連でメーカーと組んで研究開発もしているし、マサチューセッツには最先端の研究所も持っている。そこに入って、研究所からの派遣として大学に通えば良いじゃないか」 彼の将来を縛り付けようと画策しているようで、拒絶されても仕方がないと私は思っていた。 『いつまで僕が貴方の側にいると思ってるの?』と笑われそうだと。 だが翔は瞳を見開いて、唇を懸命に結んで、泣き出しそうな顔をしていた。 涙を堪えているようだった。 「いいのかい?」 「良いも悪いもない、君が賛成してくれるか、してくれないかだけなんだ」 翔は頷いた。力強く、確りと。 私に抱き付いて、何度も言った。 「行く……行くよ、僕、絶対にアメリカに行く。貴方が僕を雇ってくれるなら、喜んで行くよ」 「もちろん雇うさ。さて、友樹が怒るだろうな、君を引き抜くと聞いて――まあ君の所の所長にはあいつに蹴られてもらおう、私の代わりにね」 翔は私の冗談に泣き笑いを浮かべた。 「今の会社はとても良いから、離れたくないけど……でも貴方とはもっと離れたくない、それに本当に勉強もしたいんだ、来年の3月で辞めるよ」 私は以前から聞きたかったことを、この時に恐る恐る訊いて見た。 「翔――こんなことを決めた後で訊くのも何だが、君は、結婚は」 「しないよ」 あっさりと翔は答えた。 「だが」 「貴方はしたい? だってしなきゃならないよね、東城のトップなんだから」 「いいや、結婚はしない、弟たちに家は任せるつもりだ。けれど君は若い、私はどんどん老けて行くが、君はずっと若いままだから……」 歳なんか、という風に翔は微笑んだ。 「僕だって一緒に歳を取っているんだから、あいこだよ。向こうで大学院に行ってドクターも取ると、僕は27か。貴方は?」 「驚くべし、43だ――やれやれ、ついに40代か」 「僕が43になったら、貴方は59歳? たったの59歳じゃないか」 若さの力に、私は感慨を覚えずにはいられなかった。 彼が見ている未来は、まだこれから男盛りへの上り坂でしかない。一方私は、老いへの道を徐々に下り始める。 たったの59歳と彼は一蹴したが、すでに39歳の私には『たった』とは言い切れなかった。 私が老い込んで行く中、彼はその輝きを増し続ける一方なのだ。 そんな私に、彼が現在感じてくれていると同じ魅力を、いつまでも感じてくれるとは思えない。 私の髪が白くなり、身体から若さを失っても、彼は出会った時のように『素敵』だと笑ってくれるだろうか? けれど私の疑問も、翔は微笑んで否定した。いつになっても、貴方は貴方だから、と。 「僕だって同じだよ、アメリカに行ってハンバーガー食べ過ぎて、僕のお腹が出たらどうする?」 「正直言って、想像がつかない。君は食べても太らないからね」 「研究所でさ、MITに留学していた人がいるんだ。でもその人の入社当時を知っている別の先輩は、『アメリカから奴が帰って来た時、思わず周りを探したよ、たった1年で15キロ増えるなんて、あっちではどういう食い物を売っているんだ』って笑ってたよ。僕だって、太ってしまうかも知れない」 「大丈夫だ、君は太らないよ」 「どうして?」 「向こうに行ったら私が調子に乗って、四六時中君をベッドに引き摺り込みかねないから」 スラックスの上から腰をそっと撫で上げながらそう囁くと、彼の目元が染まる。 「いやな人だなあ」 「こんな私を選んだのは君だよ」 「ふふ……」 満足したような笑みが唇に浮かぶ。 父は彼が私を誑かしていると以前に表現したが、確かに彼は艶冶な魅力があった。 ただしそれは私だけに放たれ、私だけを虜にする艶かしさ。 私の愛撫の間でだけ見せてくれる、私だけの物。 彼はごく自然に私のシャツをはだけさせ、スラックスのベルトも抜くと、ソファに座っている私の足元に跪いて、唇で呑み込んだ。 少し以前から、彼は私の制止も聞かず、この愛撫を返すようになっていた。 愛されるだけでなく、二人で愛し合うことを学んだ頃から、翔の艶冶さは滲み出て来ていたように思う。 昂ぶりを増した私は翔の手を引き、膝の上で抱いた。 翔はためらうことなく私に従い、一体になった途端、喉を逸らして喘いだ。 私の腕の中で乱れ、悦楽に身を委ねた姿。共に生きることを決意した彼の魅力は、その時まさに絶頂にあった。 開き切った華は散って行くしかない。 運命の定めは余りにも残酷だった。 けれどそれは、永遠に美しい盛りのままで神が彼の姿を留めさせようとした、慈悲だったのかも知れなかった。
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