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私が父だったら、どうするか。 皮肉なことに似た者同士だった上、側でそのやり方の指向性を充分見てきた私には、父のやりそうなことなど想像は付いた。 友樹に、社内に送られて来るメールやFAXはチェックするよう依頼していたが、メールサーバに引っ掛かったと彼から連絡があったのは夏の終わりだった。 彼の会社は、日本全支社に送られて来るメールは全社メールサーバーを一旦経由する仕組みになっている。ウイルス避けのためだ。 その中で明らかに業務とは関係無さそうな題名を持つ広告メールを始めとして、怪しそうな物はプライバシー侵害覚悟の上でネットワーク管理者が以前からチェックしていた。その仕組みを利用して、友樹は信頼出来るネットワーク管理グループのチーフに、翔らしき人物を誹謗中傷する中身のメールがあったら速攻で知らせろと頼んでいた。 「まことしやかによくぞここまで書いてくれるぜ」 友樹は管理者から渡された削除済みのメールの文面を私に見せながら、そう苦笑した。 端的に言うなら、『松元翔は同性愛者であり、年上の男の愛人である』風な内容が、遠回しな言葉遣いながらずばりと明言されていた。 その紙を友樹に返しながら私も苦笑した。 「川匡女史の文才は今に始まったことじゃないさ、だが今回はいささか慌てているような風もあるな。彼女のいつもの文章よりも洗練度が足りないし、経由したサーバも丸々残したままだ。これは父のパソコンが発信源だ、間違いない」 「あの女狐だってたまにはヘマをするさ。しかし伯父貴の趣味だけは判らん、あんな陰険そうな女のどこが良いのか」 ふんと友樹は鼻で笑いながら、プリントアウトされた紙をシュレッダーに掛けた。 「顔は抜群だからな。それに父に仕え始めてもう長い、女房役と言っても良いさ」 私の醒めた答えに、友樹は顔を顰める。 川匡女史が父の長年の愛人であるのは一族の間では公然の事実だった。 母もそれは知っているが、母は元々家柄だけで結ばれた仲で父を愛したことはなく、どれだけ自分の夫が女と遊ぼうが無視していた。 しかし子供である私達兄弟3人には惜しみない愛情を注いでくれるし、私たちも母を大切にしていた。 川匡女史を認めている訳ではない。母の子として彼女を認めるはずもない。 だが、母は世間知らずの令嬢で、父の対等なパートナーとは元からなりえなかった。 父が聡明な女史を自らのパートナーとして選んだのは必然とも言えるし、彼女はその地位を利用して母を越権するような愚かさはなかったから、そういう意味では私は彼女の存在を受け入れているとも言えた。 シュレッダーのモーター音が響く中、私は今後について考えを巡らせた。 今回はこれで取り合えず防げたものの、これはまだ甘い方だと覚悟していた。 この手が失敗と判れば、ファイアウォールすら越えて侵入されかねない。 社員の個人宅に送られるメールや文書まではチェック出来ないし、社内FAXは電子メールよりも管理が難しい。 彼の父親すら危ない。昇進が決まっているのに、息子が同性愛者だなどと社内で噂されたら最後だ。 彼の実家の周辺とて、口さがない近所の耳に少しでも噂が入ったらあっという間に広がり、彼の家は孤立する。 それらのどれをも尽く手を回すことは不可能だ。あまりにも範囲が広過ぎる。 逆に父が私からのこうした攻撃を防ごうと思っても、父ですら無理だろう。それらを全部掌握するのは海岸の砂粒を数え上げろというに等しい。 父がまさに私の思っている通りに本格的に動き始めていることを知り、こうなったらと私は心を決めた。 根本を断ち切るしかない。 翔と一旦別れよう。 もちろんそれは一時的な物で、彼にはきちんと説明して納得してもらう。 外国支社独立の目論見は徐々に根回しが確立しつつある。ゼロアワーは年明けを予定していた。 成功すれば父の精神的ダメージは大きい。その牙を抜いてから、翔とまたやり直そうと。 数年前からの計画で、その時は単に東城の為だけに動いていた訳だが、今になってこんな風にタイミング良く私の伏兵になるとは思っても見なかった。 友樹にもこのことは話していなかった。彼を信用していない訳ではなく、陰謀は知っている者が少なければ少ない程成功の確率が高いからだ。 攻撃が始まったにもかかわらず冷静な私の表情で、まだ切り札を私が有している事を彼は見抜いていたが、何も言わなかった。 「今後も頼む、俺も出来る限りのことはするから」 「判っているさ」 友樹は我々の間について、ある程度の理解は示してくれていた。 翔を見た時に彼という青年を知り、あの子ならと好感を持った部分も大きいだろう。 大体、誰が翔を憎めるというのか。 『鼓』のママも言っていたではないか、彼を可愛がり、小遣いを置いて行った客は大勢いると。 あの子に好印象を持たない人間などいるわけがない。 父の無理解が辛くもあったが、仕方があるまい。 我々の絆は同じ男としてたしかに受け入れ難い面もあるだろう。受け入れろと強要する方が無理であり、友樹のように理解する人間の方が少ないのも私は承知している。 それでも私は彼を護り通したかった。彼と一緒に居たかった。 だから、あらゆる手を使って翔を父の攻撃、引いては世間の攻撃から庇おうとしたのだ。 ※ ※ ※ 翔に背景をある程度説明したのは、それから1週間後だった。 彼は、よく聞くんだと私が真剣な顔で口を切ったので、怯えを隠さなかった。 「翔、単刀直入に言おう。父が、私たちのことを嗅ぎ付けた」 「東城会長が……」 「父は私と君を引き離そうと考えている、そしてこのままでは君が会社で働けなくなる可能性も充分有り得る。だから、父を欺くために、私にしばらく時間をくれないか」 「時間って」 「今年の冬、いや、年明けの一月末辺りまで、逢わないようにしよう。その間に、父が完全に文句を言えないように私が手筈を整える」 「………」 翔は俯いてしまった。 まさか本気で別れたがっていると思われたのではないかと、私は不安になった。 「翔?」 「……もういいよ」 その投げ遣りな言い方は、これまで私が耳にして来たどんな彼の口調とも違っていた。 「もういい。貴方のようなお金持ちの家の事情は、僕なんかには手に負えないんだ。やっと判ったよ、僕は女じゃないし、こんなのは駄目なんだって。限界なんだよ、僕たち」 翔? 何を言い出すのだ? 予想外の彼の返答に、私は戸惑いを隠せなかった。 そんな私の表情を見て、翔は眉根を寄せる。 「僕に貴方を半年も待っていろって言うの? 細かい事情も知らされないで、ただ待っていろって?」 「………」 「待てないよ、そんなの。さっきも言ったよね、貴方の事情は僕には手に負えない。もう別れるよ、その方が貴方だってすっきりするだろ? 足手纏いになるのは嫌なんだ」 「翔――」 「僕が居なくたって、どうせ貴方なら別の人がいくらでも出来るよ。もう連絡しないから、貴方も僕に連絡なんかしないでいいよ」 ――何ということだ。 自分の甘さに私は自嘲が収まらなかった。 それもそうだ。背景も知らせずに、いきなり半年待てと言われて待つ人間がどこにいる? 他人の家の確執に巻き込まれて厭わない人間がどこにいる? 自分に拘らなくても良いだろうと彼は言ったが、それは私の科白だった。 16も年上の同性の男に固執せずとも、彼こそいくらでも女性は群がる。 社会に出て半年近く経って、そろそろ本当に周りが見え始めたに違いない。彼の目はとっくに覚めていたのだ。 それを私は何時までも見くびり、彼は決して自分を離れないと自惚れていた。 若い気の移ろい易さを、忘れていた。 踵を返し、勢い良く玄関から出て行こうとする彼を、私は待ってくれと引き止めた。 彼は振り返らず、直前で止まった。 その背中に、どうしても伝えておかねばと思っていた警告を告げた。 「判った、君の意志を尊重しよう。しかしこれだけは聞き入れてくれ、電子メールや携帯電話はくれぐれも気を付けるんだ、パソコンにしろ侵入されないようにガードを掛けるんだ。いいね」 一瞬翔は肩を震わせたが、そのまま何も言わず出て行った。
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