B級刑務所2

2/54
前へ
/54ページ
次へ
ある日、曾という台湾人が配役されてきた。曾は日本に来て1万円札をコピー機で コピーして使用したという罪で逮捕された。偽造通貨製造、同行使という罪名だ。 単純な罪ではあるが刑罰は重たい、懲役4年であった。 曾は兎に角、作業をしない。作業をしないというか、作業はするが態とスピードを 遅らせ時計ばかりを気にし不真面目そのものだ、けしからん奴だ、 要するに嫌々作業をしているのでそのようになる 日本の刑務所に於ける受刑者の勤務態度はきわめて真面目、勤勉そのものだ。 国民性がそのようにさせるのかも知れない。 当時、班長をしていた私は曾に一日のノルマを決めたり、まわりの受刑者との比較を曾に伝えたりして何とか作業スピードを上げるよう注意喚起した。 しかし曾は私の呼びかけに耳を傾けるどころか、ますますスピードを落とした。そんな曾に業を煮やし、そのことをN本に告げ、一緒に対策を考えた N本の口から出た言葉は 「お前、曾と一旦絡め、曾を挙げるから」 という言葉だった。どのようなことかと説明すると私が曾に対して口論になるようなことを言え、そのようにすれば曾を懲罰にいかせるということだった。 N本にすれば、そのような奴はこの工場に要らない、出て行ってもらうしかないという 考えだった。私もN本の考えに賛同した 私はN本の言葉を信じ込み 「はい、分かりました」 とだけ短く返答し作業に戻った 暫くすると曾は製作していた健康草鞋を作り終えた後、作業台の隅へと放り投げた。 嫌々作業している者が如何にもしそうな行動である。 その瞬間、私はN本との作戦を遂行した。離籍が許可されていた私はすかさず曾の横に立ち丁寧に注意をした 「曾、製品はもっと大切に扱ってくれないと困る」 と、とはいえ私たちが製作していた物は健康草鞋であって少し太めの紐で編んだものだ 軟らかい物で、そっと置こうがポイと投げようが何ら支障は無い。 案の定、曾は作戦に乗ってきた 「何か問題でもあるのか?」 と突っ掛かってきた。それを担当台から見ていたN本は 「そこの二人こっちに来い」 と私たちを呼んだ、そして 「二人とも外向いて立っとけ」 と命じた。え、二人とも? それもこれもすべて作戦なのかと納得した。たまにあるのだが二人が事務所に連行され どちらか一方が工場帰ってくるというパターンだなと思っていた。しめしめしてやったり という気分であった。 担当台を挟んで二人が別々の場所に立った。懲役では上げらたときには受刑者どうしを 一緒に並ばせて立たせることは無い。理由は打ち合わせをするからだ やがて事務所から刑務官が私たちを迎えに来て連行された 事務所につくと係長から 「これから、口論について取調べをするので一旦懲罰房に移動してもらう」 と告げられた。何でやねん、N本早く迎えに来てくれよと思っていたが、N本は来なかった 取調べの間は懲罰房で生活することになっている、大体2週間だ 読書は出来るものの懲罰とほとんど変わらない N本の考えた作戦と私が思っていた作戦とでは温度差があった 当時はN本め人を将棋の駒のように使いあがってと思っていたが、実は違うのではないかと最近思うようになった。 私は以前からN本に刑務所から出たら刑務所本を上梓しますよと宣言していた だからN本は優等生である私が懲罰に行くことがないだろうと思い、縁の無い房なので 一度、取材してみたらどうかという優しい気持ちでは無かったのだろうかと思う B級刑務所1では感情に任せ、やったった感満載で書いてしまった。 反省をしてもう一度B級刑務所1について再考してみようと思う。また書き忘れも一緒に記載していこうと思う
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

72人が本棚に入れています
本棚に追加