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【光差す方へ】
ワンピースをスカートに仕立て直す為に縫い目を解いておりますと、ドアについたベルが鳴って来客を知らせました。
「いらっしゃいませ」
顔を上げると、そこには肩を寄せ合い立つ男女の姿がありました。
女性は白杖をお持ちです。男性はその介助をされています、女性の足元を見て「敷居があるよ」と教えて差し上げていました。
「あ、どうも」
男性が私に気づき微笑みます。
「ようこそおいでくださいました、どうぞこちらにお座りください」
私は作業台脇にふたつのスツールを並べ勧めます、おふたりは明るい声で礼を述べながら腰掛けました。
「いい匂い、布地の匂いかしら」
女性は辺りをキョロキョロしながらおっしゃいます、私は自然と笑顔になりました。
「そうだと思います。私も問屋や手芸店へ行くと感じる匂いがありますから」
正直自分の店の匂いはよく判りません。ですがよその店に行くと、確かに独特の匂いはします、彼女もきっとそれを感じているのでしょう。
「そうなのね! なんだかワクワクする匂いだわ!」
私もそう思います、この方も洋裁をなさるのでしょうか。
「今日はどのようなご用件で」
私は口元が緩んだまま聞いていました。
「あ、そうなの! こちらでウェディングドレスは作っていただける?」
男性もにこにこ微笑んで頷きます。
ああ、良いですね、おふたりのご結婚のお手伝いだと判りました。
「はい、承ります」
カタログを出そうとして手が止まりました、彼女は目が見えません。視覚障害には様々な段階がありますが、はたして彼女はカタログをご覧になることはできるのでしょうか……。
その疑問に、男性が答えてくれました。
「すみません、鈴は全盲なので、言葉でデザインを伝えたいんです」
私はカタログに伸ばした手を戻しました。
「いくつか既製品を扱う専門店を回ったのですが、どうも鈴のお眼鏡に叶うものがないようで。ならば作ろうと言うことになって、こちらの評判を耳に挟み、やってきました」
「光栄です」
足を運んでくださったと言うことは、よい噂のようです。ご期待に応えるよう頑張らなくてはなりません。
「花嫁なんて、子供の頃からの夢じゃない!」
鈴さまが声を上げます。
「ずっと思い描いていたドレスがあるの! でも既製品じゃそれがなくて! どうせ私には見えないんだからいいじゃないって母なんか言うんだけど、そうじゃないの!」
口頭でお店の方に伝えるのですが、やはりどこか違うそうです。
旦那さまになられる方は根気よく付き合うそうですが、お母さまや妹さんだと次第に飽きて「どれでも一緒」と早く決めるよう急かすそうです。
「あなたにお願いしていいですか?」
鈴さまは、目はしっかり開いているのに、私の左側の空いた空間に向かって切なる願いをします。
綺麗に輝く瞳は、焦点を失っていると判ります。網膜色素変性症という病気で、高校生の時に異変を感じてからあっという間に視力を失ったと明るく教えてくれました。強い光ならば微かに感じる事はできるそうですが、見えない事に変わりはないようです。
初めこそ悲観したものの、施設で今隣に座る正邦さんと出会い、それも運命だと前向きに生きる決心がついたそうです。
そのおふたりの結婚式です、幸せを願ってお仕事を致しましょう。
「元となるご希望のデザインはありますか?」
私はスケッチブックを出しながらお聞きします。
「クラリスとグレース・ケリーとダイアナ妃とを足して、3で割った感じ!」
……難題です。共通項を探してみましょう。
「ええっと……ノースリーブではないですね、袖は肩のあたりが膨らんでいるデザインかと」
「ええ!」
「パフスリーブですが、手首まで布があるジュリエットかレッグ・オブ・マトンか、エレファントか……」
見ていただくわけにはいきません、私は手近にあった布を鈴さまの肩にかけ、頃合いを確認いたします。
「膨らみはこのくらいでしょうか」
二の腕をすっぽり覆う長さで、大きくふんわりと乗せます。鈴さまはそれを撫でて確認すると、
「もう少し小さく」
「はい、これでどうでしょう」
その半分ほどの長さと大きさにしました。
「あー、長さはいいけど、もう少し、膨らませて!」
「はい、かしこまりました」
ジュリエットと言うタイプの袖です。肩の辺りはゆとりがあり、肘の上あたりから細くなります。
「カフス部分はどういたしましょう」
「カフス?」
「袖口ですね」
再び布を被せます、待ち針で仮止めをして筒状にしました。
「きゅっと手首で引き締める事も出来ますし、大きく垂らすこともできますし、手の甲を覆う事もできます」
言いながら作業を致します。
「レースを足して優雅にすることも。その量や長さも」
柔らかいチュールでそれを表現しました。手首に沿うように少し覗かせたり、垂らしてみたり。
「袖口は普通でいいかな……普通って何? あ、これ素敵!」
手の甲に当たる感触でしょうか、指先までしっかり覆われるタイプを所望されました。
「長さはどうされますか?」
「そうねえ、彼と腕を組んだ時、布の先端が私の膝に届くくらいって素敵じゃない!」
しっかりとしたビジョンがおありなのですね、私はその夢を叶えるお手伝いをしたいと思います。
胸元や襟の形も同じように布を当てて決めました。いつもより3倍ほどの時間がかかってしまいましたが、当店を選んでくださったことを後悔してほしくはありません、鈴さまも私も納得するまで話し合いをしました。
スカートも惜しみなく布を使い、プリンセスラインに3メートルものトレーンを付けます。
生地はミカドシルクです、鈴さまは手触りだけですぐさまそれに決めていました。
最後にお体を採寸させていただき、仮縫いのお約束をしてその日はお帰りになられました。
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