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「やーだよ」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべた知成が言い放った言葉は、賢治郎の唇を凍りつかせた。
「人探しなんてつまらないじゃないか。書き置きもあるようだし、大事ではないのだろう? そんなもの、私にわざわざ依頼せずとも警察に頼めば良い」
腕を組んでそっぽを向いた知成は、子どものように唇を尖らせる。
「あーやだやだ。なつめちゃんにデェトをすっぽかされた日に、なんで他人の恋愛話に首突っ込まなきゃならないの」
その主張は九分九厘が私怨であった。
仕事を依頼される側とは思えない不遜な態度に、賢治郎は呆気にとられてしまう。しかし、この探偵事務所の名声を考えれば当然なのかもしれない。
帝都の鬼塚知成といえば、有能な探偵として名を馳せていた。
容姿端麗、才色兼備、華族の身分にありながら探偵業を営む変わり者だが、その能力に虚飾はない。
どんな事件も一見のうちに解決してしまう優れた頭脳を持っているというのが、世間の彼に対する見解だ。そんな売り文句で彼を紹介してくれた友人は、何故だか苦い顔をしていたけれど。
高名な探偵からすれば、賢治郎の持ち込んだ件は警察に頼れば事足りるものであるのだから、そちらを頼るのが筋という事なのだろう。
けれど、賢治郎にとっては一大事であったし、何より警察には頼れない理由があった。
「高名な探偵さんにこんな事を頼むのは失礼だとわかっています。でも、警察には頼れないんです」
「へえ」知成の返事はつれない。
賢治郎は懐から紫色の風呂敷包みを取り出した。重量感のある長方形のそれを、ガラスのテーブルの上に差し出す。
「俺に払える範囲なら、いくらでもだします」
「生憎とお金には困ってなくてね」
とりつく島もなく切り捨てられて、賢治郎は呻いた。目の前の探偵は差し出された札束には目もくれず、賢治郎の顔を愉快そうに眺めている。
「キミの婚約者はお金で買えるものなのかい?」
「は」
言葉を失う賢治郎に笑いかける。邪気のない笑顔がかえって極悪人のように思えた。
「そんなにすましてないで、もっと頑張ってごらん? 男の子だろう?」
まるで幼子に言い聞かせるような口調に賢治郎は顔を真っ赤にした。
弾かれるようにして立ち上がるが、怒りからではない。
無意識下に確かにある、"お金を積めば何とかなるだろう"という幼稚な心理を突きつけられて恥ずかしくなったのだ。
もちろん賢治郎はお金で人が買えるとは思ってないし、そういう考えが心底嫌いだ。だからといって長年に渡って刷り込まれた感覚が容易く消えたりはしない。自分の、ひいては自分の家のそういう気質が大嫌いだった。
賢治郎は真っ赤な顔で唇を引き結んだまま、知成をまっすぐ見つめる。
すう、と大きく息を吸い込み、
「私は! 咲子を愛しています!!」
びりりと空気が揺れるほどの大声で叫んだ。
「たとえ両親が反対していても! 私が生涯を共にしたいと願うのは彼女だけなんです!」
賢治郎は床に膝をつき、三つ指をつけて頭を垂れた。絨毯に鼻先を触れさせて涙交じりの声で懇願する。
「どうか、力を貸してください」
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