絵葉書の内側

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   ■ ■ ■  そこは4畳ほどの小さな畳張りの寝室だった。収納のための押し入れと、ささやかな仏壇を納めた空間がある。  それ以外には小さな文机と本棚いう必要最低限の物しか置いていないように見えた。本棚に納められた異国語の背表紙の本が目立つが、女の部屋にしては殺風景な印象だ。  そこには1人の女がいた。  肩にかかるほどの黒髪をふんわりとした白いレースのリボンで結った、青い浴衣の女。  小さな文机の前で背中を丸めたその女の容貌は伺えないが、彼女が件の新島咲子であるということは明らかだ。ここは彼女の部屋であるのだから。  咲子は思い悩んでいるようだった。文机の上にはあの紫陽花の絵葉書と、筆と絵の具皿、定規やカッターナイフなどの文房具が雑多に広げられていた。  ひぐ、とかすかな嗚咽が聞こえる。  近寄ると咲子は絵葉書を見つめながらはらはらと涙を溢していた。 「……キミは」  思わず声をかけようとして、すっとする甘い匂いが鼻に届いて目を見張る。 (この匂い、どこかで嗅いだような)  そう思い至った時、ぐらりと視界が揺れて知成の意識は引き戻された。    ■ ■ ■ 「あの、大丈夫ですか?」  気がつくと賢治郎に肩を揺すられていた。不安げな賢治郎に「いつものことだから」と苦笑を溢して改めて部屋を見渡す。  そこには先程見た通りの間取りの部屋が広がっていた。ただ文机は綺麗に片付けられており、当然ながら咲子の姿はない。  知成は「ふむ」と指先で顎に触れる。  慌てたりはしない。いつもの事なのだ。  先程目にした新島咲子が幻影に似たものであることは承知していた。  鬼塚知成には世間には公表できない秘密がある。  それは事件解決にあたって彼がほとんど推理をしないという事だった。  知成には超人的に優れた頭脳も発想力もない。大学を優秀な成績で卒業する程度には賢いかもしれないが、けして名探偵と持て囃されるようなものではなかった。  そんな彼がどうして名探偵と呼ばれるのか。  それは一重に彼がそこで起きたことを実際に視て、それをさも推理したかのように話しているからに過ぎない。  知成には昔から物や人の過去を幻視したり、目の前の人の心を読み取る力があった。一説では"過去視"や"千里眼"と呼ばれる超能力を駆使して事件を解決しているのだ。  この事実を知っているのは、助手を兼ねる妻と一部の知人のみ。  公言したところで信用されない事は百も承知なので、今日も知成は名探偵のふりをしている。 「賢治郎くん。絵葉書を貸しておくれ」  視たものを咀嚼しながら知成は手を出す。  賢治郎は部屋を調べる素振りのない事に怪訝そうな顔をしたものの、何も言わずに絵葉書を差し出した。  白地に紫陽花の水彩画が描かれた絵葉書。紙面はざらりとしていて市販の画用紙を切って作った事が、今なら良くわかる。 (無地の絵葉書に色を着けるのではなく、わざわざ1枚の紙から作った)  少し目から離して見る。市販の葉書よりもほんの少し小振りな印象を受けると共に、あることに気がつく。 (……穴?)  絵葉書には1箇所ばかり小さな穴が空いていた。  紫陽花の絵のすぐ傍に、恐らく針のようなもので開けられた小さな穴。  良く見ようとした知成が顔を近づけると、ほのかに柑橘類のようなすっとした匂いがした。 「なるほど」  1人納得したように知成は懐から簡易マッチを取り出す。  それに片手で火を着けると、ゆっくりと絵葉書に近づけていった。
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